慰安婦問題の疑問点 それってウソでしょ

当ブログは主に日本のネット上でのウソを検証しているので、世界中(特に韓国や中国、欧米の主要メディア)のウソを検証してはいません。

秦郁彦

米軍も認めた慰安婦は日本軍所属で民間人ではないという事

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所謂「ミッチナ捕虜尋問調書」では慰安婦を米軍の視点でどう捉えられていたかがわかります。
秦郁彦氏やテキサス親父がよく引用する以下の一節です。

 A "comfort girl" is nothing more than a prostitute or "professional camp follower"attached to the Japanese Army for the benefit of the soldiers. The word "comfort girl" is peculiar to the Japanese. Other reports show the "comfort girls" have been found wherever it was necessary for the Japanese Army to fight. 

この文章の最初の部分を抜き出して「慰安婦とは日本軍所属のプロの売春婦だと米軍の公式文書は説明している」 と秦郁彦氏が主張しているのは以前にも紹介しました。
テキサス親父のHP翻訳は
「追軍売春婦」だとし、attached to the Japanese Army for the benefit of the soldiersの部分をほとんど考慮していません。
テキサス親父の翻訳に至っては完全にトリミングによる歪曲です。

まあ色々な解釈はできるとしても、慰安婦が単なる軍隊を追いかけて来た民間人でないことは、
attached to the Japanese Armyで表現されています。

文章の一部を切り取って都合よく解釈し主張するのは右派の常套手段です。
しかし右派の自称歴史家や相変わらずそれを拡散させる無教養なネトウヨもこの調書を引用をする場合には絶対に認識しなければならない事があります。

慰安婦をいくら売春婦と言おうと民間人とは米軍が言っていないことです。 

彼女らを捕虜として尋問し、公式に記録文書として残した訳ですから、即ち捕虜としての扱いをしたわけです。
捕虜とするには戦闘員と同列であると見做し、戦闘員ではないが軍を構成する一員だとしているのです。
ハーグ陸戦条約では民間人は捕虜として扱えません。
Military Policeが民間人を拘束し、尋問する事があったとしても、捕虜尋問調書と記録に残すことはあり得ません。
米軍は慰安婦は民間人では無いとはっきり証明しているのです。


慰安婦や雇い主を軍の構成員としているのですから、彼らが営業する慰安所も当然軍の関連施設であり、「軍の関与」という以上の認識が米軍にあったいうことに外なりません。
そしてミッチナ以外でも日本軍の戦闘場所ではどこにでも慰安婦がいたということも書かれてあります。
要はミッチナだけの特殊事例ではないということです。

島田洋一氏をはじめ
右派はこの調書を重視する滑稽さに早く気づくべきです。


 

アメリカも認めた売春婦? 但し慰安所軍関与説を補完する引用

アメリカも認めた慰安婦は売春婦と同じだったという主張について

いわゆるミッチナ捕虜尋問調書に記載されている次の文章ですが
「A "comfort girl" is nothing more than a prostitute or "professional camp follower" attached to the Japanese Army for the benefit of the soldiers. The word "comfort girl" is peculiar to the Japanese.」

「"慰安婦"とは、軍人にサービスするために日本軍に配属された売春婦、すなわち "将兵専門のプロの娼婦"としかいいようがない。"慰安婦"という言葉は日本人特有のものだ。」
camp followerは直訳では基地の従者ですが前後の文脈からこの訳に違和感はないでしょう。

さてこの文章を元にネトウヨは「慰安婦とは売春婦だとアメリカ軍も認めている」と拡散させています。

単純に考えればそうですが、慰安所に関し予備知識のない米軍が、捕虜は慰安婦と言っているが 、それは米軍の認識では慰安する女子じゃなく売春婦だと説明しているだけです。

「comfort girl?そりゃ一体なんだ?」
尋問するうちに「なんだ売春婦以外何者でもないじゃないか」と判明したのでそう記録したんだと思います。
しかし(comfort girlという概念がアメリカにはなく)「日本人特有のものだ。」と述べているところがキーポイントです。

私たちが慰安婦と売春婦の違いを論争するほど彼らは慰安婦の特異性を認識していたはずがありません。
それを”peculiar to the Japanese”をほぼ無視し、あざとく解釈して慰安婦=合法売春婦説にすりかえていると思いませんか?
しかもたった2人の日本人"the Japanese"="house master"の証言だけですよ。主張の蓋然性は無きに等しいと言えます。 

まあ多くのネトウヨは原文解釈までしていないでしょうから、鵜呑みにしているのでしょう。「ネトウヨは二行しか文章を理解できない」と揶揄される所以だと思いますよ。



「1944年にビルマでアメリカ軍が20人の朝鮮人慰安婦を捕虜にいたしまして、詳しい尋問記録を残しております。その中で彼女たちは日本軍に所属している売春婦だ「"nothing more than prostitute or "professional camp follower"」と結論しております。」 秦郁彦2015年外国人記者クラブ会見  
てかこの人は数学もさることながら英文読解も非常に弱い偏差値36くらいに劣化していますよ。

「慰安所は民間業者が不特定多数の客のために営業する通常の公娼施設とは違います。軍が軍事上の必要から設置・管理した将兵専用の施設であり、軍の編成の一部となっていました」と永井和京大大学院教授が指摘していますが、""comfort girl" is  ****** attached to the Japanese Army"日本軍に所属している売春婦と認識している秦氏は、永井教授の見解と同じで慰安所は軍の密接な関与があったと認めることになります。
秦氏は慰安婦を単なる「売春婦」と言いたいがために「ミッチナ捕虜尋問調書」を持ち出したのですが、「慰安所はいい金儲けが出来ると民間業者が部隊の傍で営業した」という軍責任回避論を覆す引用じゃないですか?


そういった主張をする歴史家に対し著名な権威ある歴史家達が
「特定の用語(この場合売春婦)に焦点をあてて狭い法律的議論を重ねること・・・(は)より広い文脈を無視することにほかなりません。」と諭している訳です。


ネトウヨが喜んで引き合いに出す「マッカーサーも日本は自衛の為に開戦に踏み切った」も良く似た手法です。
文章全体を吟味せず一部の単語だけで意訳(ほぼ意図的に誤訳)・拡大解釈しています。
ここでは本題ではありませんので詳しい説明は改めてUPしたいと思います。

果たして慰安婦は高級取りだったのか2

果たして慰安婦は高級取りだったのか2


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山際澄夫氏は元新聞記者という経歴があるのにそんな疑問も無視してTVで単に大声で喚くだけとは情けない人だと思います。でなければ意図的に真実を追究せず、慰安婦の実態を誤魔化すために「募集広告」を悪意で利用しているに過ぎないのでは?と勘繰りたくなります。
それをネトウヨ諸君は「山際澄夫が金慶珠を完全論破」と絶賛している訳ですが、安っぽく論破とは言わずに私の疑問にも完全に答えて欲しいものです。
 
全ての慰安婦がそんな業者やブローカーに騙されたとも断定しませんが、慰安婦募集は軍の指示であったので官憲も取り締まりには非常に消極的だったのではないでしょうか?

何故なら日本軍が本格的に南方に進駐し慰安婦を大量に必要としてからは、朝鮮半島における悪質業者摘発の新聞記事が私の知る限り見当たらないからです。1941年以前の記事はよく見かけますが、ここはネトウヨ諸君の資料提示に期待します)

私のこの疑問に「慰安婦の応募者が殺到していたからアコギなことをする必要がなかったからだ」と説明するでしょうが、1941年以前と以降に何か慰安婦集めの制度がかわったのですか?
それまでは何故殺到しなかったのでしょう?

警察官の3~4割は朝鮮人だったので、業者と裏取引をしていた事も想像できますが、仮にそんな事があったとしても幹部は日本人です。日本の統治下であった訳で日本はその責任から逃れる事はできませんよね?
 
では実際に遵守規則を元に計算してみます。
 
仮に女性が50%を受け取るとします。
月2000円(「慰安婦と戦場の性」、P270秦郁彦)稼ぐには売り上げが4000円なければなりません。
どれくらいの兵隊を相手にしたら、これだけ稼げるでしょうか。
 
兵が支払う料金が一回(15~30分)1.5円だったそうです。
将校は規定料金以外に5円を支払い「将校になれば終夜利用出来た」と言われています。小野田寛郎氏(正論2005)
 
普通の慰安婦は4000円にするためには1ヶ月に2600人以上の兵を相手にしなければなりません。
月に30日働いたとすると、1日あたり86人!
1日が48時間あっても到底足りないでしょう。
(小野田氏は「内地人の娼妓の中には「一日に二十七人の客の相手をした」と豪語するつわものもいた。」
と証言しています。実際は多くてもそんなものでした。しかも休み無しにそんな事を毎日続けられたとは考えられません)
 
こんなデタラメな慰安婦高給説を掲載したのが産経新聞です。だからマスゴミと言われるのでしょうか。そしてそれを論拠に未だに2000円説をタレ流している無責任ネトウヨが多いのもおかしいじゃありませんか?
 
渡部昇一氏は慰安婦は「非常に収入が高かった。一説によれば、陸軍大将なみだと言われています。」と述べています。「一説によれば」という言い回しで主張するようでは全く説得力がありません。

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慰安婦問題の右派第一人者といわれる秦郁彦氏に至っては最近も日本外国特派員協会において、「一説によれば」どころかなんの裏づけ※も説明せず慰安婦が相手にする兵は1日平均5人と主張しました。そして「奴隷と言われる過酷な状況でなかった」と発言しています。

仮にそれが事実なら高級将校ばかり相手にしても、5人×30日=150人/月 5円×150人=650円/月、650円×5割=325円が建前上の手取りとなりますが、実際は兵と将校の比率からすれば、その半分にも満たないですよね。
自らの高給説を否定する結果になります。

※秦氏は1993年には日本軍の海外兵力を300万人と認識していました。ほとんどの研究者も終戦時の戦力を陸軍300万人としています。それが会見時には突然100万人と言い、それから導き出される数が5人と言うわけです。100万人なんて裏付けるものなんてありませんよ。
 
故・小室直樹氏は「軍女子特殊軍属服務規定」(ただし原本は焼却処分されている)を引用(孫引き)して「月給は、800円とありました。日給がおよそ70円だったということです。」と元軍医の証言(電話での聞き取り)を根拠に高給説を広めようとしました。

でもおかしいですね。慰安所の休日は月1回しかなかったのに、計算が合いませんよ。
800÷70=11.5日となります。
聞き取りミスか単純な誤記か証言者の勘違いでしょう。それぞれ年収と月給の誤りではないかと言うのが通説です。

上記の2者は資料や証言に関する信憑性の検証を怠っているのは明らかです。
どちらも簡単な計算ですぐにその矛盾に気づく筈ですから。所詮右派の学者とは思いつきで主張しているだけの、研究者としての資質に欠ける人達ではないかと思いますよ。

ただし高給を得ていたと思われる例があったかも知れません。将校が慰安婦を愛人として多額の金を貢いでいたケースが考えられます。何人かの慰安婦は比較的裕福で愛人として行動の自由も少しはあったかも知れませんが、それでも当然将校の給料より多くは貰えるはずがありません。それ以上と言うのは現在でもニュースになるような例で、将校が軍の金を横領していたか、業者から多額のワイロを得ていたかの場合しか考えられません。
でもほんの一部の例外を、しかも推測でしかない話をもっともらしく主張できません。

高給説を唱える人は軍ではそういった犯罪行為が日常的かつ頻繁に行われ、アニータ慰安婦が大勢いたとでも言うのでしょうか?
 

 「ミッチナ捕虜尋問調書」1944/10/1には、慰安婦一人あたりの売り上げが月「1500円」と記録されています。
(ただし記録された証言は日本人楼主のものと思われ、エビデンスも確認できていないので、水増しの可能性もあります)

またATISの調査報告書No.1201945/11/15 では慰安婦の売り上げ(gross)は最高1500円~300円/月で慰安婦は楼主に最低150円/月は支払わなければならなかったと証言が記録されています。

1500-300




建前上の手取りでも最高750円以下だったでしょう。どう考えても2000円と言うような額なんてあり得ません。
しかし現実には借金返済や経費として天引きされる金も多く、良くて手取り数十円だったようです。でも現地なら宝石くらいは買えます。
しかしそれも一日12時間以上、年間6~7000人もの兵隊とのセックスの代償です。
 
しかも支払いには軍票が使われたので、実際の日本円ではありません。
 
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そこでもうひとつの疑問、秦氏の主張は2,000円ですね。そして彼は慰安婦総数を2万人としています。研究者と言われる人の中でもかなり少ない見積もりです。
すると年収入24,000円×20,000人で1年間4億8千万円、4年で19億2千万円。雇い主の分も入れると38億4千万円、6年間ではなんと57億6千万円!

あるネトウヨのブログに「軍票は「軍用手票」の略語で、軍の物資調達などのために一時的に使われる通貨。日本も第二次大戦中に約45億円分を発行したが、終戦後に無価値となった。戦時中はビルマ(現ミャンマー)などの戦地に野戦郵便局、朝鮮半島などの植民地や占領地に外地郵便局が設けられ、軍人や現地住民らが貯金に利用した」と書いています。

ネトウヨの言い分をそのまま信じるととんでもない結論になります。つまり軍票とは慰安所のためにだけ発行されたことになります。ルピーならぬ「ピー」紙幣です。

これでは話にならないので、ここはネトウヨが毛嫌いするサヨク歴史家に登場してもらいましょう。
軍票発行高は219億円あまり(林博史教授「大東亜共栄圏」の実態)という見方があります。それにしてもその4分の1以上が慰安所支払いに充てられていた事になります。しかも慰安婦は多額の貯金をしたし、故郷へ送金したと言うのなら常識では考えられない、驚くような流通比率になります
また経済学者の小林英夫教授はその著書「日本軍政下のアジア-「大東亜共栄圏」と軍票」で194.7億円という説を唱えています。

さて話しを戻します。
現地の急激なインフレを考えると1942年以降は軍人や日本本土の給料と比較するのはナンセンスです。「月収300円以上」の募集広告が出されたのが1944年、実際の軍票価値は1942年とくらべ暴落していました。
 
更に戦局が悪化し転戦によって現地の兵にとっては価値がほぼ0になった軍票をチップとして無知な慰安婦に渡し、それを喜んで受け取り「よく稼げた」と錯覚した例も多く、大金を稼いでいたというのは、ほとんどがそういった金であったといいます。
 
軍事郵便貯金に多額の金を預けたという明細書残高26,145円文 玉珠さん名義)が残っていますが、内地の郵便貯金とは違い、ほんの一部しか送金出来ない、円に換金出来ないお金にほとんど価値などなかったとも言われています。

しかもその「貯金」を詳しく見ると1945年以前は大した額でないのに終戦間際に多額の貯金(1945年 4月~ 9月 20,860円)がなされた事がわかります。即ち先に述べた暴落軍票チップであると伺えますね。通常の売り上げ(軍が定めた料金)では一体何人の兵を相手にしなければならなかったのでしょう。

20,860円÷1.5円=13,900→取り分60%とするとその人数は6ヶ月間でおよそ23,000人(1日120人以上)!絶対にありえないし、大盤振る舞いの兵が多かったとしても兵の給料から考えたら、相手する人数を5割少なく見積もることすらできません。

実際は文玉珠さんの証言によると「1945年4月からは看護婦の助手をしていて、給料はなかったが、兵士がチップとして軍票をたくさんくれた」ということで、慰安婦の稼ぎとして20,860円を稼いだ訳ではありませんでした。
従って慰安婦としての2年間で5,285円貯金できたということです。 しかしそれも軍事郵便貯金(軍票)です。
 


軍事郵便貯金等特別処理法(昭和29年法律第108号) 
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S29/S29HO108.html

1945年8月16日以降の軍事郵便貯金価値(軍票)はマレー・ビルマの場合、3500円以上は432分の1の換算率となっています。
換算表で計算すると、文さんの貯金額は、日本円で3,215円となります。 
昭和29年の大卒銀行員初任給は、5,600円だったそうです。その1か月分にもなりません。 




しかし5,000円も朝鮮へ送金したと証言しているではないかという意見もありますが、
どこに5,000円も引き出された記録がありますか?どうして禁止されていた朝鮮への大金の送金が可能だったのでしょう?

許可が出れば横浜正金銀行で送金できたようですが、彼女の貯金が断然増えて来る頃、ラングーン支店は既に閉鎖されています。
送金がそれ以前になされたとしても横浜正金銀行は外為に特化した銀行であるので送金は上海支店の為替レートに従っていたはずです。



仮にですよ、軍票額面どおりに送金可能となれば、私なら内地から慰問袋で現地での換金商品を送ってもらい、ハイパーインフレ軍票を大量入手し、慰安婦や雇い主らと結託して実家へ莫大な金を送りますよ。
内地と100倍以上の差があったんですから3回でもやれば大資産家ですよ。

1回目に100円相当の品を送ってもらいます。それを売って軍票に代えると1万円になります。それを元手にまた品を送って貰い百万円相当の軍票を手に入れます。そして3回目は百万円×100=1億円!
仮に慰安婦らと折半しても5千万円。ホリエモンも真っ青な魔法の慰問袋。笑

こんな荒唐無稽な話と同じようなことを言っているのがインフレを無視した高給説のカラクリです。
ネトウヨ諸君はそんな事にも気づかないのでしょうか?

これは手元で貯めこんだ暴落軍票チップをそのまま「手紙と一緒に送った」と判断するのが妥当でしょう。
輸送船が沈没せずに無事朝鮮の故郷に届いたとしても家は建てられませんよ。換金出来ないわけですから。
彼女が苦難の末、帰国後「兄がろくなものに使っていなかった。」と豪邸の夢を裏切られ嘆き悲しむ姿を想像してみて下さい。無知ゆえの悲惨な結末に同情を禁じ得ないじゃありませんか?

額面だけでは判断出来ない事もあるのです。まさに高給説の落とし穴ですよ。
 
普通の郵便貯金と軍事郵便貯金とを混同して「慰安婦は相当な額の貯金があった」とするのは本質を隠す悪質な誘導と言ってもいいでしょう。
 
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1945年初頭のハイパーインフレでビルマの民族衣装(ロンジー)が7,000-8,000 ルピー・軍票円(ビルマにおける日本軍政史の研究」太田常蔵)したと言われています。26,000円じゃお洒落なドレス1・2着分ですよ。


軍票の乱発でインフレーションが起こるのはごく当たり前です。円の裏づけが無い紙幣であれば当然です。円に換金できるなら内地が猛烈なインフレに襲われるから、円への換金や送金も規制されたのです。
当然でしょう。為替というルールがなく、単純に軍票=円ならビルマじゃなくてもフィリピンへでもインドネシアへでも日本から円や高級換金商品を持ち込んでインフレ軍票に代えれば莫大な利益が得られ、誰だって大金持ちになれますよ。
 
南方経済処理ニ関スル件(三)昭和17年1月20日 閣議決定  で規定されたように当初から軍票では送金できませんでした。

「・・・慰安所を経営していたからといって、なんぼも儲かりゃしませんよ。第一、石炭缶に入るほどの軍票があったけれど、そんなもん一文の価値ものうなっとりましたからね。・・・」
「・・・慰安所の経営者が、まるで悪者のように言われますが、軍の命令だったんですよ。けっきょく私らも、戦争では置き去りにされたようなもんです。使い捨てっていうか・・・」陸軍参謀に頼まれて慰安所を経営したという「幸江」の証言


こういう話もあります
「最悪の戦場に奇蹟はなかった」(2002年、高崎伝、光人社)P378~379

「軍の女郎屋の女将が、軍票をリュックにドッサリ詰めこんで、兵隊といっしょに行軍していたが、ついに落伍して、 「兵隊さん……お金やるから、荷物持ってくださいよ」と、哀れな声で頼んでいたが、兵隊たちは笑って、「おばさん……もう軍票は役にたたんとバイ。みんな捨てっちまいなよ」 冷やかす賍隊たちを、女将はうらめしそうににらみつけていた。」

この記述はビルマ・シャン高原からタイへの逃避行途中の1945年4~5月頃の様子ですが、軍票価値を裏付ける証言というだけでなく、もうひとつの事実が浮かび上がってきます。
当の慰安婦は行軍に参加せず、勝手に逃げろと戦地に放り出されたのです。勿論それを窺わせる記述もあるのですが、軍の女郎屋の女将が慰安婦に担がせていないのを考えると、戦局悪化により慰安婦を放置したという明らかな証明にもなります。


「終戦後連合軍は軍票を無価値化した」と右派は言いますが、既に現地ではハイパーインフレにより実質無価値となっていたのです。
同じような証言は他にもあります。



「軍票や軍事郵便貯金が戦後価値が無くなったのは気の毒だが、なにも日本が負けると思って戦争した訳ではない。軍票を無効にした連合軍が悪いのだ」といった的外れな抗弁がありますが、果たしてそうでしょうか?
 
太平洋戦争開戦後まもない1942年3月首相官邸で次のような会合がもたれました。
大東亜建設審議会(占領地経営について財界との会合です)そこでの発言はあまりにも露骨です。
 
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「極端に言えば向こうから取ってきた資源は対価を払わんでもよろしい。タダで取る。出世証明で支払いは100年先でもよろしい。」満州重工業開発総裁 鮎川義介(日産コンツェルン創始者)

「日本を中心として搾取して行かねば続かぬと言うのはごもっともでありますが、そこは公明正大にカモフラージュすべきかと。」鐘淵紡績社長 津田信吾
 
政財界人以外に政府側は代表に企画院総裁鈴木貞一、岸信介商工大臣ら数人が参加しました。勿論財界の意向に沿った占領地政策がとられたのは言うまでもありません。
 

nanyou
日本工業新聞 1942.1.6(神戸大学付属図書館 デジタルアーカイブ)

当時の新聞でもその流れは確認できます。
「一、南方資源の開発に当っては能うる限り民間経済人の意見を重視し、且つこれを実行するとともに実際活動の衝に当らしめること、これによって日本は先ず必要物資の確保を図る。」 



この会合の意味するものは何だったのか?日本円を実質上使わずに物資を手に入れる手段として軍票を大量発行したことに外なりません。

南方経済処理ニ関スル件 国立国会図書館蔵
(三) 通貨ニ付テハ当初ハ現地通貨標示ノ軍票ヲ使用シ現地通貨ト等価ニ流通セシメ、情勢ニ応ジ逐次現地通貨ト軍票トノ機能ヲ調整シ其ノ統一ニ進ム方針デアル








後に岸信介は「侵略」だと断定しています。

慰安婦もその占領地経済構造の被害者になった訳です。発行当初から詐欺紙幣だった訳で、戦争の勝敗で価値が決まる性格のものではなかったのです。



慰安婦問題の狭い法律的議論

「日本の歴史家を支持する声明」からの考察です。

声明には「特定の用語に焦点をあてて狭い法律的議論を重ねること」を批判的に述べています。
じゃあどういった法律的議論をいうのでしょう。


「慰安婦はただの娼婦だったから当時合法だ」
「対価を得ていたのだから娼婦と変わらない」
という右派の法律的アプローチからの言い分もそのひとつでしょう。
じゃあ議論となるからには「慰安婦は娼婦とは言えない」という説があるからです。

そこで右派が主張する強制連行を否定する言い分で一番わかりやすいのが
「証拠がなかったら無罪である。もし、やっていたとしても無罪である。それが憲法の法則である。」井沢元彦氏 の主張でしょう。刑法では一般論というより当然のことです。物証なく本人自白だけで有罪となった例はありますが・・それは例外としましょう。


この理屈をもとに慰安婦のそれを見てみましょう。

じゃあ慰安婦が合法であったとするには、当時の法の裏付けがなければ、用語だけでは合法・非合法の定義ができませんよね。
戦前も無秩序な売春行為は禁止されていました。即ち売春婦は昔から存在していたが、合法ではなかったのです。

昭和32年に売春防止法が施行されるまで、日本では娼妓の登録制、稼業場所の許可、健康診断の義務など一定の規制の下で売春は合法だった。公認の貸座敷地域は国内各地にあったが、朝鮮でも現在のソウルをはじめ釜山・平壌など主な都会にはどこにもあった。そこでは日本人女性も朝鮮人女性も多数働いていた。
戦地の慰安所も概ねこの延長線上にあったものと思う。この経営者たちが女性を連れて戦地に行き、施設・移送・衛生管理などについて軍の便宜供与を受けて営業していたのが実態であったと思う。」 故大師堂経慰氏 正論2007
                                  
と右派も「一定の規制の下で」合法という認識はおありのようです。

その規制の内容ですが「娼妓取締規則」「貸座敷娼妓取締規則」等の法体系の中に記されています。

陸軍慰安所の設置と慰安婦募集に関する警察史料
『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』1解説

そこで重要と思われる、
☆警察署が所持する娼妓名簿に登録されなければならなかった(娼妓取締規則 第二条 娼妓名簿に登録せられざる者は娼妓稼を為すことを得ず 第三条 娼妓名簿に登録は娼妓たらんとする者自ら警察官署に出頭し左の事項を具したる書面を以て之を申請すべし登録制

☆また娼妓をやめたいと本人が思うときは、口頭または書面で申し出ることを「何人と雖も妨害をなすことを得ず」(娼妓取締規則 第六条 娼妓名簿削除申請に関しては何人と雖妨害を為すことを得ず)自由廃業
の2点に焦点を当てましょう。

まず一つ目の「娼妓名簿」について、国外へ移送された慰安婦の名簿は存在するのでしょうか?
二つ目は慰安婦廃業を示す書類は残っているのでしょうか?

更に三つ目として貸し座敷における自由恋愛という体裁の元となる貸し座敷は国外・戦地で業者が建築・設営したという記録が存在するのでしょうか?
占領地において軍が接収した建物を利用したり、戦地においては軍が施主になり工兵隊や動員された現地住民が慰安所を設営したりという話は残っています。

一部右派はそういった法や規則があって初めて慰安婦になれたと言って、その規則を提示して当時はそれで合法だったと結論づけています。
でもおかしいですね、法律があったから合法なんてバカな論理は誰が考えても成立しません。
また名簿や届出書類の雛形もご丁寧に提示しています。しかしその中身が書かれてあったら私の言う証拠にはなりますが、法や規則に従って実際に書かれた書類を提示している訳ではありません。
唯一性病検査をした軍医の証言が記述されているだけです。

その右派は「書類がなければ軍隊も官憲も省庁も動かない」から、慰安婦は正式な書類手続きを経て戦地に送られたという理屈です。そんなアホなことを言ってますが、当時の軍に厳格な遵法精神があったと思うのですか?


慰安所どころか関東軍は命令書もないのに戦線を拡大させ(後に政府追認)ましたね。
軍令部の命令書もなしに、捕虜を強制労働に就かせることがありましたね。
書類がなかっても「収賄」は未だになくなりませんし、書類がなかっても警察の裏金事件は起こっていますし、書類がなかっても自衛隊のスパイ事件は起こっています。



そして有難いことに慰安婦になるには以下の書類等が必要だったらしいです。勉強になりました。

■周旋人および貸座敷(遊廓)経営者と取り交わす書類 
①娼妓稼業契約書 

■稼業を行う貸座敷を管轄する警察署に提出する書類 
②親権者または後見人の承諾書 
③親権者または後見人の印鑑証明書 
④戸籍謄本または民籍謄本 
⑤前借金に関する書類の写し 
⑥経歴および娼妓(公娼)となる理由を記載した書類 
⑦健康診断書(警察署長指定の医師、医生発行のもの) 
⑧娼妓名簿登録申請書 

■慰安婦として渡航するため警察署に提出する書類 
⑨健康証明書または健康診断書 
⑩親権者また後見人の承諾書 
⑪身分証明書発給申請書 

■慰安所へ移転(鞍替)するため警察署に提出する書類 
⑫娼妓名簿登録申請書(鞍替・移転申請) 

■日本軍占領地の日本領事館に提出する書類 
⑬臨時酌婦営業許可願(写真2枚添付) 
⑭親権者または後見人の承諾書 
⑮印鑑証明書 
⑯戸籍謄本(民籍謄本) 



かなり高いハードルですね。上記の書類がきっちり残っていれば合法という推測も間違いとは言えませんが、お目にかかったことがありません。
また先に提示した証拠が無い限り「そういった事はなかった」と解釈してもいいのではありませんか?
法的裏づけの証拠があって、慰安婦になった娼婦が合法であるという証明がなされない以上、限りなく非合法に近い存在だったと言えますね。未登録の所謂モグリの娼婦だったとも言えるんじゃないですか?
そもそも公娼登録は内地での制度であって、朝鮮人・台湾人・外国人は登録できなかった筈です。


対価を得て性行為を行う女性を売春婦というのには違いありませんが、当時でも無条件に許されていた訳ではありません。
当時も英米では一部の地域を除き公には売春を認めていませんでした。
英米の植民地だったシンガポール・マレーやフィリピンでも建前上公には認めていませんでした。
日本国内でも当時から売春に対して内外より批判は相当あったので、制度として認めるかわりに批判を受けにくいような規則を制定したのです。
それでも1930年から41年の間に13県が廃止、他に14県が戦前に廃娼決議をしています。「公娼制それ自体が問題である」という認識が戦前の日本でもかなり広く共有されつつあったという事です。
当時の価値観・法制度でも(少なくとも建前の)道義的水準はそんなに低くなかったのです。


「慰安婦は金銭を得ていたから売春婦であって、それは当時合法だった」という単純な理屈は法律論から言っても成立しない暴論でしょう。

 
 
 
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