慰安婦問題の疑問点 それってウソでしょ

当ブログは主に日本のネット上でのウソを検証しているので、世界中(特に韓国や中国、欧米の主要メディア)のウソを検証してはいません。

慰安婦高給説

慰安婦は高給取りだったのか 4

慰安婦はネトウヨ連中がいうような高給取りではなかったと以前エントリしましたが、今回は慰安所の営業実態がわかる日本陸軍の報告書を紹介します。


「軍慰安所に関する件報告(通牒)」
国立公文書館 アジア歴史資料センター 所蔵

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昭和15年7月に書かれた報告書です。
南寧及欽州方面に於ける6月末現在軍慰安所状況は左表の如くにして・・・
と始まっています。

報告書には43件の軍慰安所と361名の慰安婦についての売り上げ詳細が一覧表として記されていますが、報告書には慰安婦一人当たりの一日平均売上高18円79銭と記載されています。 
月額売り上げは450円程度です。

慰安所総売上148,585.8円、それを実働慰安婦329人(報告書の最後に健康慰安婦329人となっています。他は性病だったと考えられます)で割ると慰安婦一人あたりの売り上げがわかります。


慰安婦の取り分は50%、そこから諸経費が天引きされますので借金返済を考慮せずとも手取りはその半分くらいの額にしかなりません。150円も貰えれば御の字で借金返済やら各種ピンはねを考えると、決して高給ではなかったと言えるでしょう。

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これは軍の正式文書ですので、これほど確かな証拠になるものはありません。


兵の給料の100倍、秦郁彦氏の二千円説、当時立派な家が建った(建てた)、陸軍大臣並みの高給を貰っていたなどのヨタ話にはこのような確たる裏づけになるエビデンスはありません。
高給説を唱える彼らは、以前にも書いたように広告倫理規定もない時代の新聞広告のたぐいや信憑性に乏しい伝聞証言だけです。



また同報告書には

飲酒酩酊のうえ慰安所並びに附近に於いて拳銃を発砲し或いは抜刀 従業婦に傷害を與えたるもの
将校2
飲酒酩酊の上慰安所内に於いて暴行せる者
下士官2 兵3
軍慰安所管理人1は従業婦を虐待せるを以って厳重将来を戒飾す。
との報告も記載されています。

ひと月の(問題にしなければならない位の)事件数ですから、(当時の感覚として目に余るほどではないが)慰安婦に対する暴力は日常茶飯事であったと推認されます。

慰安婦の証言を裏付けるものです。※

「当時下級兵士も毎日のように殴られていたので、当たり前だ」というのは、軍国主義を肯定する人だけの理屈でしょう。
男が婦女子に暴力を振るうのは当時の価値観でも許されてはいません。
ましてや武士道なんかを持ち出す輩はどう考えるのだろうか?



在日の元「慰安婦」として裁判を起こした宋神道さんは、中国の武昌での体験としてだが、「二階の小部屋で何人相手をしても、階下から帯剣が擦れ合う音がひっきりなしに聞こえてきた」「体調が悪く、軍人の要求に応じられないような時・・遮二無二体を強ばらせ、身を縮めていた。そのような時、相手がいつ剣を抜きはしないかと、おびえていた。実際、軍人は些細なことですぐ剣を抜いた」と語っている。 また韓国在住の文必基さんは、「慰安婦生活の間には何度か死ぬ目にもあいました。自分の要求をそのまま受け入れないといって、酒を飲んできて刀を抜き暴れ出した軍人もいました。酒に酔って刀をタタミに刺し立てて性行為をする軍人がたくさんいたので、タタミには刀の跡がたくさんありました。それは思い通りにさせろという脅迫でした。そして、思い通りにいかないと、刀を抜いて躍りかかろうとするのです」と証言している。

慰安婦は高給取りだったのか?3

「特要員と言う名の部隊」(元海軍中尉 重村賞)を記した重村氏の話がネトウヨによく引用されています。

 「彼女達は大体当時四、五千円の前借金によって前線に赴いたが、契約期間の標準は1ヵ年位であった。これを早い者は僅か三ヵ月普通六ヵ月位で返済したということであるから、その過重な労苦は到底われわれには想像出来ない。」
誰からかの伝聞か想像でしょうが、例によって検証してみましょう。

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上文書は海軍の慰安所規定1945年当時のものです。「松ノ家」という下士官・一般兵専用慰安所の料金が規定されています。

利用料金は兵2円下士官3円とありますので、1日26人対応として、兵14人下士官12人※と仮定します。
1日の売り上げ64円、慰安婦取り分は前借があるので40%の25.6円 1ヶ月(30日)で768円
毎日26人と「過重な労苦は到底われわれには想像出来ない」状況を半年間も続ける事ができるとはとても考えられません。


ラバウルの日本人慰安婦の話では
「その頃(注:ミンダナオ島のタバオにいた時)は、現役の若い兵隊さんばかりで一日7、8人が限度、楽じゃないけど体を悪くすることはありませんでした。半年ぐらい働いて、 去年の10月末にこのラボウルに来たんです。ここでは、大きな部隊(38師団<名古屋>)の専属になって、とても忙しかったんです。毎日朝から12、3人もの兵隊さんの相手をさせられてお金にはなりましたけど、辛いんですよ。それで、辛いというと、「最前線の女は、一日30人もの相手をするのに、お前たちはなんだ」と叱られるのです。でも30人なんてとても、せいぜい20人がやっと、1週間も続いたら体を悪くしますよ。」「青年将校と慰安婦」谷川美津枝著

「過重な労苦」が真実というのなら慰安婦が性奴隷状態におかれた確かな証明になります。



それでも、もし出来たとしても合計4608円くらいです。
借金返済(元金)5000円は半年で返済できません。ましてや3ヶ月で返済とは到底考えられませんね。
しかも1945年以前は陸軍規定と同様に兵は1.5円だったとしたら、半年では4100円です。

利息や天引きされた生活費を考えると1年では多額の貯金もなかなか難しかったのではないでしょうか?
まあ仮に貯金できても軍票ですから、額面通りの価値は当然ないですね。

それにしても1年契約で4000~5000円も貸す業者が本当にいたのでしょうか?
話の信憑性が大きく疑われます。

日本人元慰安婦の証言 「日本人慰安婦」2015 から抜粋

鈴本文(当時18歳!) 1942年トラック島 前借金 2300円業者の説明「軍が借金を肩代わり」
島田美子仮名(39歳) 1939年満州          1000円        「軍は嘘をつかない」
笠原フジ(37歳)    1937年上海          1000円               「慰安所が軍直営」
水野イク(43歳)    1943年パラオ         2000円



しかも重村氏は次のようにも述べています。


「民政部関係の従軍文官や報道部関係の従軍班員は、時問的にも経済的にも恵まれていたので、彼女達を独占する機会もあり、物議をかもす中心となった者もいた。しかし一番ちゃっかりしていたのは、彼女達を直接管理する立場にあった特権階級がいたことである。
配給や移動を取扱う者が絶対の権能を有していたことは、何処の社会でも、何時の時代でも同じことだった。」

ようですから、特権階級によって慰安婦が半ば「私物化」されていたとすれば、彼女らの稼ぎも計算どおりの額には到底及ばなかったでしょう。 

このような「慰安婦は高給取だった」という話もじっくり考えると、矛盾が露呈してきますね。 

※10~17時(7時間休み無) 兵利用(30分)14人、17時~24時(7時間-休憩1時間)下士官利用12人


 ウヨはまた高給説で次のような文を引用しています。

吉原で10年暮らした高安やえは、「戦地へ行けば10倍稼げるし・・・・稼いだら内地に帰って商売を始めようと考えてラバウルへ・・・・一人5分と限り、一晩に200円や300円稼ぐのはわけがなかった」と回想している(高安やえ「女のラバウル小唄」『続戦中派の遺言女性版』櫂書房1979年)。
「慰安婦と戦場の性」秦郁彦 P392

しかしこの内容は慰安所では全くなく、軍に売春を黙認されていたラバウルの「小料理屋」の例です。
現在の大阪飛田にあるようなものです。しかも将校がおもに利用していたのです。

秦郁彦氏はいかにも慰安婦が高給であったと錯覚させるための誘導として、原文トリミングと”
一人5分と限り”という原文にない加筆をしているのです。



原文
「(そこでシンガポール、バンコク、海南島、マニラと移り)最後はラバウルだった。ラバウルが一番稼ぎになったし、面白かった」
「私はそこで××という小料理屋のおかみの代理みたいなことをやって、女の子たちの監督もやっていたんです。もちろん私自身も体を売ったわよ」
「××は海軍専用の小料理屋、といっても目的は女よね」
「飲んでいるうちに手をひっぱってちょんの間をやるの。そして終わると20円か30円くらい握らせて、また仲間のところへ行って飲むのね。すると今度は別の若い将校さんが手を握って。だから一晩に200円や300円稼ぐのわけはなかったわ(注・当時大学を出て初任給が80円か100円だった)」


また秦郁彦氏は高給説をでっち上げるために”高安やえ「女のラバウル小唄」”をインチキ引用していますが、前文章のあとには以下の文が続きます。

「あなた、女が戦地に行って、汗くさいけだもののような男たちに体のすみずみまでなぶられて、嬉しがるとでも思うの。みんな、お金のため、貧乏で食えないから、じっと歯を食いしばっているんじゃないの。あなたは男性だからわからないでしょうが、女の体は、生身なのよ、機械じゃないのよ。その生身の体に、飢えた男たちが50人、100人と続けざまにさいなんできてごらんなさい、どうなると思う。もう真赤にはれあがって、傷だらけになって、足なんか閉じていられない、歩くのだってガニ股でやっとなのよ。それでも翌日はまた男に抱かれなければならないと思うから、冷たい水で一生懸命ひやして、涙をぼろぼろこぼして、私、朝鮮の女性たちが、そうやってお互い助けいたわりあっている風景を何度も見たわ。そんな時、私は女ってかなしいなァって何度泣いたかしれません。」 

秦郁彦氏は肝心の慰安所の様子を紹介していません。





 

慰安婦は20万人いたのだろうか? 兵士の給料から逆算する

慰安婦総数は果たしてどれ位だったのだろうか?
「20万人はデタラメだ」というネトウヨはそれを自身で検証したのでしょうか?
私なりに考えてみました。

慰安婦制度が確立した1938年からの8年間を前提とします。
海外派遣兵を年平均200万人とします。(沖縄にも慰安所があったのですが今回は除外します)

内地の公娼の場合1~2年契約とされていたようですが、中国人・朝鮮人にはそれがきちんと守られていたか疑問ですし、交代補充が円滑に行われていたようにも思えないので長い年数を仮定しました。右派が主張するように「慰安婦は借金をすぐに完済できて、立派な家も建てた」というウソをそのまま信用すれば交代率は5以上になりますが、ここでは冷静に2.5年で廃業したとしておきましょう。 

ウソの例「日本人女性からも応募が殺到したのも事実である。慰安婦は当時の大卒者の10倍近い高給取りで、故郷に家が建った。」小林よしのり氏 

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この漫画にあるように確かに兵隊は1回ごとに料金を払っていましたが、「当時の月給の3分の1くらいの高額だ」は明らかに歪曲で、(漢口での全軍の兵士の金銭出納帖を調べたという)小野田元少尉は平均「月に月給の3分の1」を慰安所に支払っていたと証言しています。
また小野田氏は兵隊は料金は1円50銭だったとしています。

要するに兵隊は複数回利用し、その金額が3分の1ということです。

漫画では「高額だ」と言い、いかにも慰安所の料金が高いと思わせる歪曲です。


慰安婦の収入が一般兵士の100倍ということは、小野田元少尉によると兵の給料平均13円ということなので、1300円を得ていた事になります。


下記の公文書に記戴されている慰安所料金を元に計算してみましょう。

慰安婦が手元に1300円を得ようとすれば、最低その倍は売り上げねばなりません。
2600円÷1.5円≒1733、即ち月1700人以上の兵を相手にしたことになります。1日56人以上!多い日の人数ならいざ知らず、毎日ですよ!休憩すらおぼつきませんし、天引きされる経費を勘案すれば一月30日では到底足りません。
実際には家を建てた慰安婦なんていなかったでしょう。もしその証拠でもあるならどなたでも結構ですからご教示願いたいものです。


そして応募が殺到したというのですから、国内で慰安婦を一般募集したのですか?殺到した事実ってなにを根拠に言ってるのでしょう?

慰安所があるなんて当時一般国民には知らされていなかったはずです。もし当然のように公表していたら銃後のご夫人方が納得しないと言うことぐらい当然軍中枢もわかっていたのです。
いくら当時女性の地位が低かったとしても、戦地に赴く夫や息子や兄が慰安所通いをするのを当然だと考えていたのでしょうか?
当時の秋田県知事でさえ皇軍が慰安婦を必要としたことを知り、「俄かに信じがたい」と公電を発しています。

皇軍兵士は規律正しく正義に身を捧げる勇士だというのに、女通いができると発覚すれば、銃後の人心に示しがつきませんよ。



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注 小林よしのり氏のマンガではありません



実際それを証明する公文書が残っています。
 
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通牒書 警保局長 「南支方面渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」 昭和13年11月8日 

「婦女を密かに募集すること」とあり、国内では慰安婦の募集は秘密裏に行うよう指示が出されています。

国内では慰安婦をおおっぴらに募集できなかったので、慰安婦の仕事内容を隠した就業詐欺の例も多くみられます。
虚偽説明の多くは兵士の世話であり看護婦の資格が取れるとかというだけでなく、事務員という全くウソの募集もありました。

東京市飯田町職業安定所では「女性事務員」、最高60円、最低40円の募集に1,200人が応募し、32名が採用されましたが、彼女らは事務員ではなく慰安婦にさせられた」
週刊大衆1970年8月20日号

虚偽の慰安婦募集には日本人女性も殺到したというのであって、小林よしのりは悪質な手口を伏せ、醜悪なデマにすり変えています。






また以前も書きましたが、「日本女性からも応募が殺到した」なら、何故朝鮮人慰安婦が必要だったのでしょう?
日本兵は朝鮮人が好みだったのですか?※1


まあ話しは少しそれましたが、本題に戻ることにしましょう。

兵が1年間で利用する回数は平均25回程度と推算します。
これは一般兵が慰安所に使える金額が兵の給料の3分の1、月3~4円 という小野田元少尉の証言から導き出した回数です。
月2回程度とかなり控えめな数字と考えますが、とりあえずこの数字で試算します。

200万人の海外派遣兵の延べ利用回数は1年で5000万回となり、慰安婦が年350日 働いたとすると以下の数字がでてきます。

年慰安婦数3万人 1日の対応人数      4.76人    慰安婦総数9.6万人
年慰安婦数2万人 1日          7.14人   慰安婦総数6.4万人
年慰安婦数1万人 1日           14.28人   慰安婦総数3.2万人


従事した年数を2年半としましたが、その間に死亡も含め病気などの理由で廃業した人(損耗率)も考慮すると、もっと交代率が上がるかと思います。 

陸軍の慰安婦300人以上を対象とした調査では平均稼業日数は月に27日とあるので、慰安婦総数は1.08倍増えます。

帰国後再度慰安婦 になった人はほぼいないと考えられるので交代率には考慮しません。
(2度もだまされて慰安婦をさせられたという文玉珠さんの場合は例外でしょう)

戦闘が激化するに従い、明日無き日々を送った兵は有り金全部つぎ込んだという話があります。
ごく普通に理解できます。昭和18年以降は慰安所の利用率も高かったでしょう。 

中国においては支那人は1円という慰安所規定も残っています。そうすると更に利用率が上がります。 
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これは慰安所のいわば割引券です。証言によると1.5円の料金が1円に割り引かれたそうです。
褒美として貰えたのでしょう。




実際、慰安所は上海事変1932年以降設けられましたが、初期の頃は私娼窟を準慰安所として利用していたこともあり、軍関与の慰安婦との境目は判別つきにくいので、試算には8年間の前提をしたのですが、実際は慰安婦が存在したのは13年間です。
上記慰安婦総数の試算は支那派遣軍60~100万人の兵が慰安所を1938年以前の5年間利用したことを考慮していません。試算に1~2万人は加算しなければなりません。

慰安所を利用できた軍属も計算に含めなかったので、それを考慮すると試算した人数よりも多い人数にはなります。

慰安婦の移送の日数は考慮に入れてないので、それを勘案すると1日の対応人数は若干上がると考えられますが誤差のうちでしょう。



以上試算はかなり低く見積もってのものです。
個人的には7~10万人程度ではなかったかと考えます。

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常州駐屯間内務規定 1938年3月

他地域でも兵1円の規定もあります。
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慰安所に関スル規定 獨立守備歩兵第35大隊 1942年6月



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慰安所規定送付ノ件 1942年11月 軍政監部ビサヤ支部イロイロ出張所







外国特派員協会記者会見 2015/3/17 での秦郁彦氏の主張は
「20万人の慰安婦が毎日20人から30人の兵士たちに性サービスをしたと書いてあるんですが、当時海外に展開した日本軍の兵力は約100万人です。教科書に従えば、接客は1日5回という統計になりますから、20万人が5回サービスすると100万になりますので、兵士たちは戦闘する暇がない。毎日慰安所に通わなければ計算が合わなくなるわけですね(会場から笑い)。そういう誇大な数字が教科書に出されているということです。 」

20万人が一度も欠勤せず8年間働き続けたというムチャな論法になっています。性病その他の病で廃業した人数も考慮せず、交代・補充を含む合計人数という前提がありません。およそ学者というには程遠い主張です。
また度々指摘していますが「・・日本軍の兵力は約100万人です。」とでたらめな人数を言うのもおかしいじゃありませんか?
そんなウソや歪曲した理屈をコネないと、20万人説を否定出来ないと言うことでしょうか?

でも右派のウソを真に受けて計算すると1日5人対応(秦郁彦説)立派な家を建てたほど高給だったので交代率5とすると総数21.3万人の慰安婦が必要となります。皮肉な数字になりますね。それも強姦を防ぐ人道的制度の効果は最低でも兵が月3回程度利用しないとダメだと思いますので、それも考慮すると30万人を超えます。まるでどこかの高校教科書に書かれてある数字以上じゃないですか 笑  
但し海外派遣兵は別記事に詳細を記していますが日本政府統計により100万人は100%否定できますので採用しません。




20万人説は劣悪環境で慰安婦の使い捨てが横行し、更に兵が給料のほとんどを慰安所に使ったなら考えることもできますが、慰安婦数がそんなに多いというのも根拠に乏しいと考えます。しかし交代率が上がるような要素が見出せれば充分に考えられます。


しかしあくまでも私の推計は軍が制度として設置した慰安所における慰安婦(狭義)の数であり、中国本土、フィリピンなどの戦場や占領地域の敵性地域での「討伐」 において頻発した監禁・強姦の被害者は広義の慰安婦とも言えます。

フィリピン従軍慰安婦補償請求事件の訴状における証言
http://www.awf.or.jp/pdf/193-f1.pdf
 

被害者からみれば、日本軍の兵に監禁・強姦された事実を慰安婦被害者と語っても本質的には慰安所の慰安婦と同じですから、その被害者を慰安婦として加えるなら私の推計をはるかに超えることも否定できません。





慰安婦の一日の対応人数ですが10時から5時までは一般兵に割り当てられ、7時間で食事・洗浄・用足し等の時間に30分~1時間とすれば20人程度、5時~12時の将校タイムでは10人程度、合計1日のMAXが30人程度となりますが、この数値はよほど強制力が働かないとこなし切れないと思います。
ミッチナ捕虜尋問調書に記載されたスケジュールを元に算出しました。
一般兵と将校の比率を考えると、一般兵は早い者勝ちみたいな倍率ですね。

前線に近い慰安所では慰安婦も不足していたかも知れませんが、後方ではもう少しゆとりがあったかも知れませんし、暇な日も当然あったでしょう。

正確な慰安所記録が残っていませんので推測にしか過ぎませんが、先の調書に書かれてあるように、慰安婦はスケジュールに従っても兵の数に対応できず、不満を述べたと証言しているので、多い時で30人程度の対応人数は否定できません。
 



※1

「一九三七年末から蕪湖に駐屯した野砲第六連隊長藤村謙大佐も、強姦を懸念して、内地から慰安婦を呼んだが「日本女性と朝鮮人女性とが来たが、後者の方が一般に評判が良いので逐次之に代えることにした」と回想している。」
藤村謙『変転せる我が人生』(私家版、一九七三)一一〇ページ
 秦郁彦氏「慰安婦と戦場の性」P88

「戦地へ送り込まれる娼婦は年若き者を必要とす。而して小官某地にて検黴中屡々見し如き両鼠蹊部に横痃手術の瘢痕を有し明らかに既往花柳病の烙印をおされし、アバズレ女の類は敢へて一考を与へたし。此れ皇軍将兵への贈り物として、実に如何はしき物なればなり。如何に検黴を行ふとは言へ。」
「一応戦地へ送り込む娼婦は、内地最終の港湾に於いて、充分なる淘汰を必要とす。まして内地を喰ひつめたが如き女を戦地へ鞍変へさす如きは、言語同断の沙汰と言ふ可し。」
 第十一軍第十四兵站病院麻生徹男  防衛庁防衛研究所 「衛生・医事関係資料の調査概要」P37 
www.awf.or.jp/pdf/0062_p033_039.pdf

要するに内地ではいい人材が確保できなかったということです。応募が殺到したというのがウソとわかります。






 

果たして慰安婦は高級取りだったのか2

果たして慰安婦は高級取りだったのか2


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山際澄夫氏は元新聞記者という経歴があるのにそんな疑問も無視してTVで単に大声で喚くだけとは情けない人だと思います。でなければ意図的に真実を追究せず、慰安婦の実態を誤魔化すために「募集広告」を悪意で利用しているに過ぎないのでは?と勘繰りたくなります。
それをネトウヨ諸君は「山際澄夫が金慶珠を完全論破」と絶賛している訳ですが、安っぽく論破とは言わずに私の疑問にも完全に答えて欲しいものです。
 
全ての慰安婦がそんな業者やブローカーに騙されたとも断定しませんが、慰安婦募集は軍の指示であったので官憲も取り締まりには非常に消極的だったのではないでしょうか?

何故なら日本軍が本格的に南方に進駐し慰安婦を大量に必要としてからは、朝鮮半島における悪質業者摘発の新聞記事が私の知る限り見当たらないからです。1941年以前の記事はよく見かけますが、ここはネトウヨ諸君の資料提示に期待します)

私のこの疑問に「慰安婦の応募者が殺到していたからアコギなことをする必要がなかったからだ」と説明するでしょうが、1941年以前と以降に何か慰安婦集めの制度がかわったのですか?
それまでは何故殺到しなかったのでしょう?

警察官の3~4割は朝鮮人だったので、業者と裏取引をしていた事も想像できますが、仮にそんな事があったとしても幹部は日本人です。日本の統治下であった訳で日本はその責任から逃れる事はできませんよね?
 
では実際に遵守規則を元に計算してみます。
 
仮に女性が50%を受け取るとします。
月2000円(「慰安婦と戦場の性」、P270秦郁彦)稼ぐには売り上げが4000円なければなりません。
どれくらいの兵隊を相手にしたら、これだけ稼げるでしょうか。
 
兵が支払う料金が一回(15~30分)1.5円だったそうです。
将校は規定料金以外に5円を支払い「将校になれば終夜利用出来た」と言われています。小野田寛郎氏(正論2005)
 
普通の慰安婦は4000円にするためには1ヶ月に2600人以上の兵を相手にしなければなりません。
月に30日働いたとすると、1日あたり86人!
1日が48時間あっても到底足りないでしょう。
(小野田氏は「内地人の娼妓の中には「一日に二十七人の客の相手をした」と豪語するつわものもいた。」
と証言しています。実際は多くてもそんなものでした。しかも休み無しにそんな事を毎日続けられたとは考えられません)
 
こんなデタラメな慰安婦高給説を掲載したのが産経新聞です。だからマスゴミと言われるのでしょうか。そしてそれを論拠に未だに2000円説をタレ流している無責任ネトウヨが多いのもおかしいじゃありませんか?
 
渡部昇一氏は慰安婦は「非常に収入が高かった。一説によれば、陸軍大将なみだと言われています。」と述べています。「一説によれば」という言い回しで主張するようでは全く説得力がありません。

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慰安婦問題の右派第一人者といわれる秦郁彦氏に至っては最近も日本外国特派員協会において、「一説によれば」どころかなんの裏づけ※も説明せず慰安婦が相手にする兵は1日平均5人と主張しました。そして「奴隷と言われる過酷な状況でなかった」と発言しています。

仮にそれが事実なら高級将校ばかり相手にしても、5人×30日=150人/月 5円×150人=650円/月、650円×5割=325円が建前上の手取りとなりますが、実際は兵と将校の比率からすれば、その半分にも満たないですよね。
自らの高給説を否定する結果になります。

※秦氏は1993年には日本軍の海外兵力を300万人と認識していました。ほとんどの研究者も終戦時の戦力を陸軍300万人としています。それが会見時には突然100万人と言い、それから導き出される数が5人と言うわけです。100万人なんて裏付けるものなんてありませんよ。
 
故・小室直樹氏は「軍女子特殊軍属服務規定」(ただし原本は焼却処分されている)を引用(孫引き)して「月給は、800円とありました。日給がおよそ70円だったということです。」と元軍医の証言(電話での聞き取り)を根拠に高給説を広めようとしました。

でもおかしいですね。慰安所の休日は月1回しかなかったのに、計算が合いませんよ。
800÷70=11.5日となります。
聞き取りミスか単純な誤記か証言者の勘違いでしょう。それぞれ年収と月給の誤りではないかと言うのが通説です。

上記の2者は資料や証言に関する信憑性の検証を怠っているのは明らかです。
どちらも簡単な計算ですぐにその矛盾に気づく筈ですから。所詮右派の学者とは思いつきで主張しているだけの、研究者としての資質に欠ける人達ではないかと思いますよ。

ただし高給を得ていたと思われる例があったかも知れません。将校が慰安婦を愛人として多額の金を貢いでいたケースが考えられます。何人かの慰安婦は比較的裕福で愛人として行動の自由も少しはあったかも知れませんが、それでも当然将校の給料より多くは貰えるはずがありません。それ以上と言うのは現在でもニュースになるような例で、将校が軍の金を横領していたか、業者から多額のワイロを得ていたかの場合しか考えられません。
でもほんの一部の例外を、しかも推測でしかない話をもっともらしく主張できません。

高給説を唱える人は軍ではそういった犯罪行為が日常的かつ頻繁に行われ、アニータ慰安婦が大勢いたとでも言うのでしょうか?
 

 「ミッチナ捕虜尋問調書」1944/10/1には、慰安婦一人あたりの売り上げが月「1500円」と記録されています。
(ただし記録された証言は日本人楼主のものと思われ、エビデンスも確認できていないので、水増しの可能性もあります)

またATISの調査報告書No.1201945/11/15 では慰安婦の売り上げ(gross)は最高1500円~300円/月で慰安婦は楼主に最低150円/月は支払わなければならなかったと証言が記録されています。

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建前上の手取りでも最高750円以下だったでしょう。どう考えても2000円と言うような額なんてあり得ません。
しかし現実には借金返済や経費として天引きされる金も多く、良くて手取り数十円だったようです。でも現地なら宝石くらいは買えます。
しかしそれも一日12時間以上、年間6~7000人もの兵隊とのセックスの代償です。
 
しかも支払いには軍票が使われたので、実際の日本円ではありません。
 
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そこでもうひとつの疑問、秦氏の主張は2,000円ですね。そして彼は慰安婦総数を2万人としています。研究者と言われる人の中でもかなり少ない見積もりです。
すると年収入24,000円×20,000人で1年間4億8千万円、4年で19億2千万円。雇い主の分も入れると38億4千万円、6年間ではなんと57億6千万円!

あるネトウヨのブログに「軍票は「軍用手票」の略語で、軍の物資調達などのために一時的に使われる通貨。日本も第二次大戦中に約45億円分を発行したが、終戦後に無価値となった。戦時中はビルマ(現ミャンマー)などの戦地に野戦郵便局、朝鮮半島などの植民地や占領地に外地郵便局が設けられ、軍人や現地住民らが貯金に利用した」と書いています。

ネトウヨの言い分をそのまま信じるととんでもない結論になります。つまり軍票とは慰安所のためにだけ発行されたことになります。ルピーならぬ「ピー」紙幣です。

これでは話にならないので、ここはネトウヨが毛嫌いするサヨク歴史家に登場してもらいましょう。
軍票発行高は219億円あまり(林博史教授「大東亜共栄圏」の実態)という見方があります。それにしてもその4分の1以上が慰安所支払いに充てられていた事になります。しかも慰安婦は多額の貯金をしたし、故郷へ送金したと言うのなら常識では考えられない、驚くような流通比率になります
また経済学者の小林英夫教授はその著書「日本軍政下のアジア-「大東亜共栄圏」と軍票」で194.7億円という説を唱えています。

さて話しを戻します。
現地の急激なインフレを考えると1942年以降は軍人や日本本土の給料と比較するのはナンセンスです。「月収300円以上」の募集広告が出されたのが1944年、実際の軍票価値は1942年とくらべ暴落していました。
 
更に戦局が悪化し転戦によって現地の兵にとっては価値がほぼ0になった軍票をチップとして無知な慰安婦に渡し、それを喜んで受け取り「よく稼げた」と錯覚した例も多く、大金を稼いでいたというのは、ほとんどがそういった金であったといいます。
 
軍事郵便貯金に多額の金を預けたという明細書残高26,145円文 玉珠さん名義)が残っていますが、内地の郵便貯金とは違い、ほんの一部しか送金出来ない、円に換金出来ないお金にほとんど価値などなかったとも言われています。

しかもその「貯金」を詳しく見ると1945年以前は大した額でないのに終戦間際に多額の貯金(1945年 4月~ 9月 20,860円)がなされた事がわかります。即ち先に述べた暴落軍票チップであると伺えますね。通常の売り上げ(軍が定めた料金)では一体何人の兵を相手にしなければならなかったのでしょう。

20,860円÷1.5円=13,900→取り分60%とするとその人数は6ヶ月間でおよそ23,000人(1日120人以上)!絶対にありえないし、大盤振る舞いの兵が多かったとしても兵の給料から考えたら、相手する人数を5割少なく見積もることすらできません。

実際は文玉珠さんの証言によると「1945年4月からは看護婦の助手をしていて、給料はなかったが、兵士がチップとして軍票をたくさんくれた」ということで、慰安婦の稼ぎとして20,860円を稼いだ訳ではありませんでした。
従って慰安婦としての2年間で5,285円貯金できたということです。 しかしそれも軍事郵便貯金(軍票)です。
 


軍事郵便貯金等特別処理法(昭和29年法律第108号) 
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S29/S29HO108.html

1945年8月16日以降の軍事郵便貯金価値(軍票)はマレー・ビルマの場合、3500円以上は432分の1の換算率となっています。
換算表で計算すると、文さんの貯金額は、日本円で3,215円となります。 
昭和29年の大卒銀行員初任給は、5,600円だったそうです。その1か月分にもなりません。 




しかし5,000円も朝鮮へ送金したと証言しているではないかという意見もありますが、
どこに5,000円も引き出された記録がありますか?どうして禁止されていた朝鮮への大金の送金が可能だったのでしょう?

許可が出れば横浜正金銀行で送金できたようですが、彼女の貯金が断然増えて来る頃、ラングーン支店は既に閉鎖されています。
送金がそれ以前になされたとしても横浜正金銀行は外為に特化した銀行であるので送金は上海支店の為替レートに従っていたはずです。



仮にですよ、軍票額面どおりに送金可能となれば、私なら内地から慰問袋で現地での換金商品を送ってもらい、ハイパーインフレ軍票を大量入手し、慰安婦や雇い主らと結託して実家へ莫大な金を送りますよ。
内地と100倍以上の差があったんですから3回でもやれば大資産家ですよ。

1回目に100円相当の品を送ってもらいます。それを売って軍票に代えると1万円になります。それを元手にまた品を送って貰い百万円相当の軍票を手に入れます。そして3回目は百万円×100=1億円!
仮に慰安婦らと折半しても5千万円。ホリエモンも真っ青な魔法の慰問袋。笑

こんな荒唐無稽な話と同じようなことを言っているのがインフレを無視した高給説のカラクリです。
ネトウヨ諸君はそんな事にも気づかないのでしょうか?

これは手元で貯めこんだ暴落軍票チップをそのまま「手紙と一緒に送った」と判断するのが妥当でしょう。
輸送船が沈没せずに無事朝鮮の故郷に届いたとしても家は建てられませんよ。換金出来ないわけですから。
彼女が苦難の末、帰国後「兄がろくなものに使っていなかった。」と豪邸の夢を裏切られ嘆き悲しむ姿を想像してみて下さい。無知ゆえの悲惨な結末に同情を禁じ得ないじゃありませんか?

額面だけでは判断出来ない事もあるのです。まさに高給説の落とし穴ですよ。
 
普通の郵便貯金と軍事郵便貯金とを混同して「慰安婦は相当な額の貯金があった」とするのは本質を隠す悪質な誘導と言ってもいいでしょう。
 
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1945年初頭のハイパーインフレでビルマの民族衣装(ロンジー)が7,000-8,000 ルピー・軍票円(ビルマにおける日本軍政史の研究」太田常蔵)したと言われています。26,000円じゃお洒落なドレス1・2着分ですよ。


軍票の乱発でインフレーションが起こるのはごく当たり前です。円の裏づけが無い紙幣であれば当然です。円に換金できるなら内地が猛烈なインフレに襲われるから、円への換金や送金も規制されたのです。
当然でしょう。為替というルールがなく、単純に軍票=円ならビルマじゃなくてもフィリピンへでもインドネシアへでも日本から円や高級換金商品を持ち込んでインフレ軍票に代えれば莫大な利益が得られ、誰だって大金持ちになれますよ。
 
南方経済処理ニ関スル件(三)昭和17年1月20日 閣議決定  で規定されたように当初から軍票では送金できませんでした。

「・・・慰安所を経営していたからといって、なんぼも儲かりゃしませんよ。第一、石炭缶に入るほどの軍票があったけれど、そんなもん一文の価値ものうなっとりましたからね。・・・」
「・・・慰安所の経営者が、まるで悪者のように言われますが、軍の命令だったんですよ。けっきょく私らも、戦争では置き去りにされたようなもんです。使い捨てっていうか・・・」陸軍参謀に頼まれて慰安所を経営したという「幸江」の証言


こういう話もあります
「最悪の戦場に奇蹟はなかった」(2002年、高崎伝、光人社)P378~379

「軍の女郎屋の女将が、軍票をリュックにドッサリ詰めこんで、兵隊といっしょに行軍していたが、ついに落伍して、 「兵隊さん……お金やるから、荷物持ってくださいよ」と、哀れな声で頼んでいたが、兵隊たちは笑って、「おばさん……もう軍票は役にたたんとバイ。みんな捨てっちまいなよ」 冷やかす賍隊たちを、女将はうらめしそうににらみつけていた。」

この記述はビルマ・シャン高原からタイへの逃避行途中の1945年4~5月頃の様子ですが、軍票価値を裏付ける証言というだけでなく、もうひとつの事実が浮かび上がってきます。
当の慰安婦は行軍に参加せず、勝手に逃げろと戦地に放り出されたのです。勿論それを窺わせる記述もあるのですが、軍の女郎屋の女将が慰安婦に担がせていないのを考えると、戦局悪化により慰安婦を放置したという明らかな証明にもなります。


「終戦後連合軍は軍票を無価値化した」と右派は言いますが、既に現地ではハイパーインフレにより実質無価値となっていたのです。
同じような証言は他にもあります。



「軍票や軍事郵便貯金が戦後価値が無くなったのは気の毒だが、なにも日本が負けると思って戦争した訳ではない。軍票を無効にした連合軍が悪いのだ」といった的外れな抗弁がありますが、果たしてそうでしょうか?
 
太平洋戦争開戦後まもない1942年3月首相官邸で次のような会合がもたれました。
大東亜建設審議会(占領地経営について財界との会合です)そこでの発言はあまりにも露骨です。
 
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「極端に言えば向こうから取ってきた資源は対価を払わんでもよろしい。タダで取る。出世証明で支払いは100年先でもよろしい。」満州重工業開発総裁 鮎川義介(日産コンツェルン創始者)

「日本を中心として搾取して行かねば続かぬと言うのはごもっともでありますが、そこは公明正大にカモフラージュすべきかと。」鐘淵紡績社長 津田信吾
 
政財界人以外に政府側は代表に企画院総裁鈴木貞一、岸信介商工大臣ら数人が参加しました。勿論財界の意向に沿った占領地政策がとられたのは言うまでもありません。
 

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日本工業新聞 1942.1.6(神戸大学付属図書館 デジタルアーカイブ)

当時の新聞でもその流れは確認できます。
「一、南方資源の開発に当っては能うる限り民間経済人の意見を重視し、且つこれを実行するとともに実際活動の衝に当らしめること、これによって日本は先ず必要物資の確保を図る。」 



この会合の意味するものは何だったのか?日本円を実質上使わずに物資を手に入れる手段として軍票を大量発行したことに外なりません。

南方経済処理ニ関スル件 国立国会図書館蔵
(三) 通貨ニ付テハ当初ハ現地通貨標示ノ軍票ヲ使用シ現地通貨ト等価ニ流通セシメ、情勢ニ応ジ逐次現地通貨ト軍票トノ機能ヲ調整シ其ノ統一ニ進ム方針デアル








後に岸信介は「侵略」だと断定しています。

慰安婦もその占領地経済構造の被害者になった訳です。発行当初から詐欺紙幣だった訳で、戦争の勝敗で価値が決まる性格のものではなかったのです。



慰安婦は高給取りだったのか?

果たして慰安婦は高給取りだったのか?


「慰安施設旅館営業遵守規則
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無借金の場合雇主が四割以内、本人が六割以上報酬があった訳ですが、前借金があれば、本人取り分4割~5割で更に返済金が差し引かれました。
いわゆる「ミッチナ捕虜尋問調書」には、慰安婦の負債額に応じて、経営者が水揚げの50ないし60%を受け取っていたと記録されています。
軍の規則に合致した内容です。
 
慰安婦は高額な給料を得ていたという説があります。
高級将校以上に給料を貰っていた。そんな給料を貰っていて性奴隷とは到底考言えないという説です。

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 月給300円以上という破格の慰安婦募集の新聞広告も建前であるのは理解いただけますね。現在でも「月収300万円以上可能」とか怪しい求人広告が見うけられますが、当時は新聞広告規定も厳格だった訳ではないでしょうから、詐欺広告とまでは言えないとしても、100%鵜呑みにするのも思慮が足りないと思います。
賢明なネトウヨ諸君なら300万円の求人広告には「ウラ」があると当然考えるでしょう?
 
さらに当時の貧しい朝鮮人の識字率は決して高くなく(女子の就学率が10%を超えるのは1933年頃からです。慰安婦の対象年齢の婦女子はほぼ教育を受けていない)、当然新聞購読していた人もごく僅かでしたから広告は主に下請け業者・ブローカー向けのものと思われます。
高給につられて直接少女が応募したとは非常に考えにくい

 

ある台湾人元慰安婦は「看護助手」名目の貼り紙を知人に紹介されたと証言しています。
多くの元慰安婦は 「文字が読めなくても働ける」「看護婦の資格がとれる」「病人の世話をする簡単な仕事」と説明されたと証言しています。
新聞紙上に直球で「慰安婦大募集」とは業者向けと考える方が正解だと思います。


奴隷としてではなくネトウヨが言うように普通の売春婦として本当にそれだけの額が得られるなら、当時のサラリーマンの給料が数十円だった事を考えると報国の美名の下に国内で充分慰安婦が集まったのではないでしょうか?
わざわざ朝鮮人を募集する必要などなかったと言う疑問が残ります。
後述するミッチナ捕虜尋問調書にある朝鮮人慰安婦の様子がその通りなら尚更です。She is not pretty either by Japanese or Caucasian standards.」
「朝鮮人兵士も多かったからだ」ってバカいっちゃダメですよ。朝鮮兵の割合と朝鮮人慰安婦の割合が全然合わないですから。
それとも兵には日本人の方が人気がなかったとでも言うのでしょうか?
300円も貰えるなら前借金なんてすぐに返済出来、かなり厳しい接客をせねばならなかったので慰安婦を辞める人が多過ぎて朝鮮人を動員しなければ足りなかったのでしょうか?

その朝鮮人も前述した「帰国命令」等によって短期で帰国するので現地では慢性的に慰安婦が不足していて韓国が主張するように結局20万人の慰安婦が必要となったのでしょうか?



果たして慰安婦希望者が多数いたのか?


破格の高給故に慰安婦の応募者が殺到したという根拠に乏しくデマに等しい話をする人がいます。
「慰安婦になりたがる娘が多くて困ります。しかし、誰でも良いというわけにはいかないのです」と朝鮮の御用商人が軍に納品する時に言っていたという憲兵の証言がその唯一の根拠らしいですが、そのまま単純に証言を鵜呑みにすれば以下の状況はどう説明できますか?

1941年の関東軍特別演習に際して、関東軍参謀原善四郎中佐は軍慰安婦2万人が必要と計算し、朝鮮側に割り当てましたが実際にはその40%の8000人しか集まらなかったと言います。原の部下で実務を担当した村上貞夫は「実際は3000人位」と証言しています)何故でしょうか?

右派ではこの原参謀の証言も捏造だと根拠のないデマがまかり通っていますが、それについての検証ページがあります。
 http://satophone.wpblog.jp/?page_id=237



先の証言を検証しましょう。
仮に10人慰安婦を集めたいとします。「誰でも良いというわけにはいかないのです。」ならば選抜しなければなりません。20人でも30人でも応募者が多いほどいい訳ですが、
「慰安婦になりたがる娘が多くて困ります。」なら10人を超える応募は困るという事です。
そのまま読むと非常に矛盾しています。

「(募集はしっかりやっているので)慰安婦になりたがる娘が多くて困ります。しかし(要望の人数に足りないのは)、誰でも良いというわけにはいかないからです。」
朝鮮の御用商人は慰安婦需要に対応できないいい訳として話をしたと思われます。
これなら辻褄が合うでしょう。

本当に殺到したならなにも困る事はないでしょう。
「 慰安婦になりたがる娘が多くて大変喜んでいます。(器量のいい娘ばかりを選べますからね。)(兵隊さんも娘なら)誰でも良いというわけにはいかないでしょう。」
普通に考えれば企業の採用担当者でなくても当然そう思いませんか?



また募集年齢17歳以上と記されていますが、当時の国際社会でも未成年の就業は禁じられていました。
この時代大日本帝国は『醜業婦女売買国際条約』1910年や『婦人及び児童の売買禁止に 関する国際条約』1921年に加盟していました。この条約では「未成年に対する勧誘は、[本人が了解しても]罰せられるべし」と規定していました。
勧誘しただけでも罰せられたんですよ。
内務省警保局長が1938年に「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」においては条約の規定どおり21歳以上と通達を出しています。

朝鮮半島では未成年の少女を募集出来たのは何故でしょうか?
内地との差別は歴然です。「朝鮮・台湾人は日本人と同等の権利を与えられていた 」とするネトウヨには特に問いたいと思います。


またそれを正当化するなら自らが民族差別主義者であることを自白しているだけでしょう。
日本ネトウヨの常識は世界の非常識。

本来「植民地除外規定」(第十一条)は、当時の植民地において結婚する時に家族に贈られる「花嫁料」など「近代」以前の長年の習慣・伝統が残っていた為に挿入されたものであり、条約の意図は売春のために女性を国外へ連れて行くことを容認することではありませんでした。「国際法律家委員会(ICJ)」は見解で「朝鮮女性に加えられた処遇について、その責任を逃れるためにこの条文(規定)を適用することはできない」と述べています。
 

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