hyakuta慰安婦問題と関係ないのですが、百田氏の苦しい弁明におかしいところがあるので、書いておきます。

百田氏は「沖縄県内の人口動態を見てみると、基地のある町のほうが基地のない町と比べて、人口の伸び率がはるかに高く・・」と反論していますが、事実と反しますね。デマと言ってもいい位です。


以前にも書きましたが、
那覇市民の中には金を貰っても海兵隊基地のある宜野湾市の瑞慶覧や同じく海兵隊基地キャンプハンセンが面積の60%を占める金武町には住みたくないと言う人が大勢います。


金武町の人口が米国施政下当時より返還後現在まで11%しか増加していない
ことでも証明されています。沖縄平均より随分低い数値です。
宜野湾市でも人口増加は一様ではありません。





また百田氏は宜野湾(市制前)は「1950
年にわずか15930人だった。実に5.8倍に増えている」という主張をしていますが、「飛行場が商売になるから人が住みだした」という基地依存率の高かった返還前の数値を検証してみます。

1950年から1970年の間の人口増加率を見てみると
宜野湾市の増加割合は2.47倍で那覇市2.55倍より低いのです。
この期間にも米軍は住民を強制移転させ普天間基地を拡張しています。
那覇市は米軍専用の港はありますが基地の占める面積の割合は僅か1.4%、宜野湾市のように大規模な基地はありません。

那覇市と宜野湾市の間にある浦添市は実に3.5倍の人口増となっています。市内にはキャンプキンザー(海兵隊基地)がありますが、基地従業員数1000人あまり、宜野湾市のキャンプ瑞慶覧2300人と規模は半分以下です。
基地とはさほど関係なく、那覇市の発展とともに成長したと言えるでしょう。
http://www.pref.okinawa.jp/toukeika/pc/2/estimates_kokusei.html


返還後は本島の西海岸に沿って走る国道58号線沿いの島中西部の町は埋め立てやリゾート開発と都市化によって更に人口増加したのです。
また那覇市と隣接する豊見城市は1950年と現在とを比べると実に6.51倍です。米軍基地は存在しません!
宜野湾市や極東最大の軍事基地といわれ普天間基地よりはるかに規模の大きい米空軍嘉手納基地のある沖縄市(那覇市に次いで人口2番目)の3.86倍より高い伸び率です。
キャンプ・シュワブとキャンプ・ハンセンのある名護市は1950年との比較は1.5倍程度です。沖縄の都市部平均増加率よりむしろ低いことがわかります。

基地による経済効果も否定はしませんが、沖縄経済のたった5%、それも軍用地代を差し引けば2.5%程度、日本人基地従業員沖縄本島人口の0.66%(米軍発表8600人)、技能・労務職の基本給125,400円~最高233,600円(別途手当有)と特別優遇されている訳ではありません。

「基地のある町のほうが基地のない町と比べて、人口の伸び率がはるかに高い」というのはいいかげんな妄想に過ぎません。


村部や離島は人口増加率が低かったり或いは過疎・高齢化が進むのに比べ、都市への人口集中はなにも沖縄県だけの現象でないのは誰もが知るところです。 

百田氏の反論でもっとひどいのが
「そもそも普天間飛行場は、1942年に当時の大本営が全島17か所に軍飛行場の建設を始めるに当たって、帝国海軍が買収しており、工事の完成を見る前に沖縄戦に突入し、後に米軍に接収されたという経緯があるんです。つまり、戦中の時点で多くのエリアはすでに国有化されていたということです。」
という主張です。
悪質極まりないデマです。
宜野湾市のデータによると普天間基地の敷地に占める国有地の割合は僅か6.9%で92.1%が民有地、残りの1%が市有地です。



戦後沖縄本島ほぼ全てが焦土と化し、産業復興もままならない時期に占領軍の基地建設に狩り出され(当然のことながら住居は隣接する)、アメリカがドル対円のレートを本土と差を付けて(1ドル360円の固定相場だった
1949年~1971年に沖縄は1ドル120円の超円高)沖縄経済の自立を妨げ、米軍経済に依拠せざるを得ないようにした沖縄の歴史を全く顧みない発言に沖縄の人々が怒るのも無理はありません。



左翼がどうのこうのと言う前に、沖縄戦とその後を理解できない人間に日本人として沖縄を語って欲しくはありませんね。