慰安婦問題の疑問点 それってウソでしょ

当ブログは主に日本のネット上でのウソを検証しているので、世界中(特に韓国や中国、欧米の主要メディア)のウソを検証してはいません。

ミッチナ捕虜尋問調書

産経ニュースのウソと歪曲

慰安婦像は少女像にあらず 菅義偉官房長官「問題視しているのは慰安婦像」

http://www.sankei.com/politics/news/170111/plt1701110027-n1.html

「韓国では、多くの10代前半の女性が旧日本軍によって強制的に連行されて慰安婦にされた-との主張が横行している。しかし、日本政府の調査などでは、「少女」と呼ばれる年代の女性が慰安婦になったことは裏付けられていない。

という
記事内容はウソです。編集者の妄想か不勉強を晒す相変わらずの産経クオリティ。
1992年に政府が調査し発表した資料にちゃんと15歳や16歳の慰安婦の記録があります。

過去エントリでも紹介した
のですが

 
顕微成績ノ件(梅毒検査結果) 昭和17年5月29日、6月9日 

には15歳(2人) 16歳(2人)の記戴があります
(ただし姓名は黒塗り。しかし氏名欄は縦書で漢字表記で6文字までと考るのが妥当であり、日本人・朝鮮人・台湾人あるいは大陸の中国人と考えられる)

10代前半ではありませんが、
少女と呼ぶ年齢には違いありません

慰安婦像横のプレートには朝鮮人慰安婦だけでなく、被害を受けたとされる民族が書かれてあります。韓国女性家族部や2008年韓国国会の対日非難決議においても「アジアの女性」として朝鮮人慰安婦だけに限定していません。
従って国籍に拘った解釈は無意味です。

また同記事には


「実際、
米軍が昭和19(1944)年、ビルマ(現ミャンマー)で捕らえた朝鮮人慰安婦から聞き取り調査して作成した報告書※によると、調査対象となった女性20人の平均年齢は23歳で、最年少は19歳が1人いるだけだった。」
との歪曲主張を掲げています。
※心理作戦班 捕虜尋問報告No.49

その報告書には1942年夏に慰安婦として派遣されたと記述されています。
しかし
尋問期間は1944年8月20日から9月10日であり、調査した時点での慰安婦の年齢と朝鮮半島で慰安婦にされた年齢とでは2歳の差があるのを無視しています。

報告書に記戴された年齢を元に慰安婦となった年齢を調べると、20名のうち11名が未成年で慰安婦となり、その最年少が17歳であったのです。


また日本の裁判所では多くの元慰安婦の事実認定が行われています。
原告の多くは当時未成年でしたが、年少の原告だけを取り上げても

○中国人「慰安婦」損害賠償請求訴訟(第二次)
期間:1996年2月~2007年4月

一、二審とも軍が連行、監禁、強姦(ごうかん)した事実を認定しました。最高裁も、この事実認定自体は「適法に確定された」と認めました。
原告
郭さん、当時15歳
侯さん、当時13歳

○海南島戦時性暴力被害事件訴訟
期間:2001年7月~2010年3月

高裁判決のなかで「以下の事実が認められ,この認定を覆すに足りる証拠はない。」と原告の主張が認定されました。
原告
黄有良さん、当時14歳
陳亜扁さん、当時14歳
譚亜洞さん、当時16,7歳

○関釜裁判

高裁「原告らの打ち消し難い原体験に属するものとして、その信用性は高いと評価される」として原告らの主張する事実を認定、確定しました。
原告
朴頭理さん、当時16歳 外当時未成年2名


○在日韓国人元従軍慰安婦謝罪・補償請求事件
2000年11月30日高裁判決

原告が慰安婦として受けた被害事実について、東京地裁判決で事実認定が行われています。
原告
宋神道さん、当時16歳 

ただし賠償請求についてはいずれも棄却されています。

理論破綻している慰安婦高給説で、今だにウヨがよく例にする慰安婦の軍事郵便貯金の主、文玉珠さんが慰安婦となったのが当時16歳だったと認定されています。


ec21b928




勿論日本政府機関が公式に認定はしていない(それをウヨは捏造慰安婦と称している)が、数多くの証言記録では年少で慰安婦となった女子(朝鮮人に限らず)が多数いたのは言うまでもありません。
日本の裁判所では多くの事実認定がなされましたが、日本政府が本気で調査すれば、それらの公式に認定していないが韓国政府が認定した元慰安婦の証言の年齢が嘘であるか、あるいは真実なのかは明らかにできる筈ですが、それをしないで証言を否定できませんね。


「少女像と呼べば、実際に少女が慰安婦をやっていたと思われる」自民部会2017/1/27(青山繁晴参院議員)
そのとおりですから。






 



 

 



テキサス親父のウソ

コメントされる方はまず他のコメントや私の返答、過去エントリを読んでから、コメントしてください。

尚、謝罪や賠償に関してはこのブログの趣旨と少し離れますし、嫌韓ネタを披露されても当ブログとは無関係ですから削除します。



今回は安直なウヨネタを持ち出す過去コメントを紹介します。

所謂ミッチナ捕虜尋問調書49号に関して

>麦焼酎

>テキサス親父の言うように、戦時中に日本叩きのプロパガンダに使えるネタをアメリカ側は使わなかったわけでしょ。そこを深く考えるべきでは?
>https://www.youtube.com/watch?v=ggQaYD37Jm4 

ウソです!

テキサス親父の動画のウソは過去エントリでも述べていますが 
 
http://senbonzakura.blog.jp/archives/38520388.html
「追軍慰安婦」の追軍って何だ?



実際は戦時中に日本叩きのプロパガンダに使えるネタをアメリカ側は使いました。



maruyama2175929

maruyama0707175928
ビルマのミッチナで米軍が撒いた伝単(プロパガンダのビラ)

抜粋
大切な部下の代わりに慰安婦逹も伴ったが、聯合軍偵察隊の遊撃が急となるや之等をも置きっ放しにして、中緬国境線に近きシマを迂回して雲南省まで逃れた。
中略
日本軍の勇士よ、諸君が丸山大佐を見たら、『ミチナに無縁の孤墳と化した戦友の英霊に対して何と申し訳をするのか?』
『ミチナの川向ふナンタローに取り残された病傷患者をどうした?』と聞け!


そしてビラには慰安婦逹は戦地で置き去りにされたと書かれてあります。

陸軍看護婦とか日赤の看護婦とかは、ミッチナからは戦闘が始まる 3 ヵ月ぐらい前に筏で流して、南のバモーとかに脱出させるということが行われていますが、慰安所は既に放棄されていたにもかかわらず慰安婦は最後まで生命の危険が及ぶ戦場を連れ回されたのです。

「強制連行」どころの話ではありません。


ただし捕虜となった慰安婦に関して直接のプロパガンダがなかったのは、同49号に、慰安婦が連合軍の捕虜になったことが戦地で知られると他の慰安婦が生命の危険に晒されるので、リーフレットは撒かないで欲しいとの要望があったことが記述されています

当然米軍が投下したビラは日本軍の士気喪失や投降を促す目的が主だったのは言うまでもありません。

下は一般的なプロパガンダです。

magazine_jap_beast_1942 Jap_Blood_Cult_pg00a








コメント主は当ブログやコメント欄の他コメも読まず反論している訳ですが、多くのバカウヨも同様です。


「追軍慰安婦」の追軍って何だ?

ネトウヨが適当な和訳をして、都合よく屁理屈を並べるのによく引用されるのが米公文書の「ミッチナ捕虜尋問調書」ですが、その一節にある "professional camp follower"を彼らは「追軍売春婦」と解釈しています。

恐らくテキサス親父が2013年に当該レポートのコピーを入手し、関係者が和訳してネットで公開したのがネトウヨの中だけで拡散したのでしょう。

字幕つき動画はYoutubeで確認できます。

”Comfort women were camp followers w/proof”2013/09/09


彼はイタリア系アメリカ人ということですが、英語を喋れても、文章はまともに読めないようですね。

texas1
本物の報告書ならビルマで捕虜にしたんですけど・・・・

texas3
どこにそんなこと書いてあるのでしょうか? 
原文:”Some of the girls were thus allowed to return to Korea.”
帰国を許されたとあるだけです。

そして現実には後に出されたATIS調査120号レポート1945/11/15では
But owing to war conditions,no one of prisoner of war's group ha so far been allowed to leave. 
即ち 戦況の影響で慰安婦は誰一人帰国を許されなかったと記録されています。

texas2

彼女達は不満を言ったが、残念だとはひとことも言っていないでしょう。
原文”The girls complained that even with the schedule congestion was so great that they could not care for all guests, thus causing ill feeling among many of the soldiers.”



そしてテキサス親父公式HPと称するページに
 "professional camp follower"の翻訳が掲載されています。


texas4





それより以前にも「追軍慰安婦」としているページを見かけますがそれほど認知度は高くなかったと思います。 


今やgoogleで「追軍」と検索すればほぼネトウヨのページばかりですが、河野談話が出された頃には「従軍慰安婦」のページはあっても「追軍慰安婦」なるページはありません。
当該レポートはなにもテキサス親父が最初に見つけたのではなく、政府調査資料として1992年に既に公開されています。


そもそも「追軍」という日本語はなく、主要なWEB辞書でも掲載されていません。(当然「従軍」はあります) 
辞書にも載らない言葉ですから正しい日本語という評価はできないでしょう。
いわばネトウヨのネトウヨによるネトウヨのためだけの(捏)造語といえるでしょう。 
followerを都合よく「追っかける人」 という誤訳に近い意訳をしているだけです。

しかし"professional camp follower"がひとつの名詞(熟語)を表しているのです。

「軍事組織専属に働く使用人、しばしば売春婦 」と解釈するのが普通でしょう。English Language & Usage Stack Exchange」(WEB英英辞書)による解釈




日本版Wikipediaの「日本人戦争捕虜尋問レポート No.49」の項では(職業的な野営随行者)と注訳していますが、確かに「野営随行者」と訳しても間違いではないのですが、それはアメリカ独立戦争当時のcamp followerであって20世紀には米軍ではcampを海外の基地、駐屯地として使用しています。

沖縄の海兵隊基地の名称でも普天間飛行場のキャンプフォスター(瑞慶覧)やキャンプシュワブ、キャンプハンセンなどcampが使用されています。当然野営なんかしていませんし、立派な施設です。

それとも本当に日本軍のミッチナの基地では(校庭などに)天幕を設営して毎夜キャンプファイヤーで酒盛りでもしていたのでしょうか?
Wikipedia同項では「彼女らは通常2階建ての大きな建物(学校の校舎)に住んでおり、個室で生活し、仕事をした」という説明をしていますが、campを野営とするなら「追軍」した慰安婦がしっかりした建物で生活し、兵がお粗末な天幕生活をしていたということになり完全に逆転します。
お笑い翻訳ではないでしょうか?
明らかに「追軍」を用いるのは矛盾しています。

また野営しながら「追軍」するのなら慰安婦がテント生活をしていなければなりません。
いずれにせよ野営と「追軍」をセットにするなら全く辻褄が合いません。

お笑いネトウヨのブログには「野営追軍プロ」なる新語も登場しています。



(「従軍慰安婦」の従軍を否定したいがため)「特定の用語(この場合camp follower)に焦点をあてて狭い法律的議論を重ねること・・・(は)より広い文脈を無視することにほかなりません。」と187名(後に計457名)の歴史家が諭している訳です。

さらには「プロの売春婦」として拡散させているネトウヨもいますが、同調書には「入営した女性のなかには「地上で最も古い職業」(娼婦)も若干名いたが、大部分は売春について無知、無教育であった。」と記述されています。
「虚偽の説明を信じて」
同項より引用(だまされて)挙句の果てにプロとしての仕事をさせられた訳ですから、「プロの売春婦」と切り取っての主張は明らかに慰安婦になる経緯を意図的に隠蔽していることになります


ではこのレポート以外に”camp follower”が実際にはどういう使われ方をしていたのでしょうか?
よくわかる例があります。


s2lVR

Women of a defeated land,forced to sell their bodies to the enemy soldiers.
敗戦地の女性、敵兵に自分の体を売ることを強制されました
THE CAMP FOLLOWERSというイタリア映画(脚本Ugo Pirro)1965年のポスターです。 
イタリア語原題は 「Le soldatesse」、ストレートに軍の構成員ですよ。

「商売で部隊について来た(民間)売春婦」といった能天気なニュアンスでは全くありません。
映画は伊ファシスト軍が侵攻したアルバニアで女性を犯したストーリーですが、女性が軍に追いつかれていますよ 笑
日本軍がインドネシアで慰安婦にしたオランダ人女性とダブリますね。

そしてレポート原文には続いて "attached to the Japanese Army for the benefit of the soldiers"
と書かれています。それを合わせてひとつの名詞を構成しているわけですが、テキサス親父のHP翻訳では完全に無視しています。

"attached to"の用例としてnurse attached to the army”があります。「従軍看護婦」のことです。
従ってレポートの記述は「従軍売春婦」 或いは「日本軍所属の売春婦」(秦育彦氏)と解するのが妥当でしょう。

また同レポートは慰安婦は売春婦と同じだと記述していますので、「従軍売春婦」イコール「従軍慰安婦」としても全くおかしくありません。 

しかし何故当時「慰安婦」という言葉を使ったのでしょう。なぜ当時の公娼制度(当時合法)があったのに従軍「娼妓」とか従軍「娼婦」という名称を用いなかったのでしょう。
従軍看護婦以外にも当時従軍カメラマン・従軍画家・従軍記者という軍の要請で働く人はいました。

しかし規律と秩序、高度な精神性を謳う皇軍に「娼婦」が帯同しているのを公にできなかったという理由もあるでしょう。


ネトウヨが慰安婦は当時合法だったとするなら、わざわざ「慰安婦」のような名前をつけたのは何故ですか?
慰安婦は「娼妓取締規則」から外れた徴集を行っており、また軍専用の慰安所という「規則」外の場所での就業は「公娼」とは言えなかったらでもあるでしょう。

要するに(合法を裏付ける)新しい法制度も制定せずに軍が新ジャンルの「慰安婦」制度を作った訳です。

また国内は当然として朝鮮半島・台湾でもストレートに「娼婦」とすれば思うように人が集まらなかったでしょう。
いずれにしても「慰安婦」のように当時曖昧な言葉が都合よかったのです。

そして軍の新語であり、内地(沖縄を除く)で慰安婦という職業はなかったので、わざわざ「従軍」をつける必要もことさらなかった訳です。ただ「軍慰安婦」と記された当時の文書は存在します。

しかし実態は「従軍」に間違いないから「従軍慰安婦」と表現してもなんら間違っていないと思います。
慰安婦に軍が賃金を払っていなかったから「従軍」では無いと言う説もありますが、「従軍看護婦」に軍が賃金を支払ったというエビデンスでもあるのでしょうか?日赤が支払っているはずです。
また国策映画のカメラマンは映画会社から給料を貰わず、軍から支給されていたと言うのでしょうか?




「追軍売春婦」をネトウヨ仲間だけの隠語みたいに使うだけならいいのですが、海外からの非難に対抗するには全く意味のないどころか,インチキ翻訳を振り回せば知能程度を疑われるのが関の山でしょう。
米国は勿論、中韓でも引用した原文のままストレートに解釈しますからね。



 

 

米軍も認めた慰安婦は日本軍所属で民間人ではないという事

comfort women 1




所謂「ミッチナ捕虜尋問調書」では慰安婦を米軍の視点でどう捉えられていたかがわかります。
秦郁彦氏やテキサス親父がよく引用する以下の一節です。

 A "comfort girl" is nothing more than a prostitute or "professional camp follower"attached to the Japanese Army for the benefit of the soldiers. The word "comfort girl" is peculiar to the Japanese. Other reports show the "comfort girls" have been found wherever it was necessary for the Japanese Army to fight. 

この文章の最初の部分を抜き出して「慰安婦とは日本軍所属のプロの売春婦だと米軍の公式文書は説明している」 と秦郁彦氏が主張しているのは以前にも紹介しました。
テキサス親父のHP翻訳は
「追軍売春婦」だとし、attached to the Japanese Army for the benefit of the soldiersの部分をほとんど考慮していません。
テキサス親父の翻訳に至っては完全にトリミングによる歪曲です。

まあ色々な解釈はできるとしても、慰安婦が単なる軍隊を追いかけて来た民間人でないことは、
attached to the Japanese Armyで表現されています。

文章の一部を切り取って都合よく解釈し主張するのは右派の常套手段です。
しかし右派の自称歴史家や相変わらずそれを拡散させる無教養なネトウヨもこの調書を引用をする場合には絶対に認識しなければならない事があります。

慰安婦をいくら売春婦と言おうと民間人とは米軍が言っていないことです。 

彼女らを捕虜として尋問し、公式に記録文書として残した訳ですから、即ち捕虜としての扱いをしたわけです。
捕虜とするには戦闘員と同列であると見做し、戦闘員ではないが軍を構成する一員だとしているのです。
ハーグ陸戦条約では民間人は捕虜として扱えません。
Military Policeが民間人を拘束し、尋問する事があったとしても、捕虜尋問調書と記録に残すことはあり得ません。
米軍は慰安婦は民間人では無いとはっきり証明しているのです。


慰安婦や雇い主を軍の構成員としているのですから、彼らが営業する慰安所も当然軍の関連施設であり、「軍の関与」という以上の認識が米軍にあったいうことに外なりません。
そしてミッチナ以外でも日本軍の戦闘場所ではどこにでも慰安婦がいたということも書かれてあります。
要はミッチナだけの特殊事例ではないということです。

島田洋一氏をはじめ
右派はこの調書を重視する滑稽さに早く気づくべきです。


 

「187人の歴史家声明」に対する応答と提案  カビの生えた藤岡信勝氏のたわごと

【拡散希望】本日6月12日午前6時(日本時間)を期して、慰安婦問題に関するアメリカの歴史家187人の声明に応答する私の書簡を英語と日本語の両言語で発信します。
とFaceBookで発表されました。

fujibaka


以下それの要約と私の指摘を併記します。

「日本非難には事実の裏付けがないことが、特に昨年八月の、朝日新聞の32年間にわたる誤報記事の取り消しによって、誰の目にも明らかとなりました。」

「吉田証言」の事を言っていますが、日本のほんの数人の歴史家しかそんな虚構を信じていません。
以前の拙ブログにその証言がどう扱われたかを書いています。


氏は「187人の歴史家声明」に直接的には書かれていないマグロウヒル社の歴史教科書の内容について誤りだと指摘されておられます。

(1)教科書は、「強制的に慰安婦にされたり、徴用されたりした」
原文「The Japanese army forcibly recruited, conscripted, and dragooned as many as two hundred thousand women age fourteen to twenty to serve in military brothels, called "comfort houses" or "consolation centers". 」

という記述が誤りだというその理由のひとつとして
「吉見義明はテレビの討論番組で「朝鮮半島における強制連行の証拠はない」と述べています。」

吉見氏は狭義の「強制連行」を示す証拠がないと言っているに過ぎず、教科書はdragooned to serve in military brothels, called "comfort houses"「強制的に慰安所で働かせた」と書いてあるので「強制連行」の有無を提示しても意味がありません。
「強制的に慰安婦にされた」証言は本人は勿論、日本の将兵の証言も多数記録されています。これは否定できるものではありません。私の知りうる証言だけでも十数例はあります。「徴用」についても勿論記録が残っています。

(2)教科書には「20万人もの女性」が慰安婦にされた

「と書いています。しかし、秦郁彦教授は、日本の関係機関の統計などの資料に基づいて、2万人程度と推定しています。」

声明を寄せた歴史家は20万人を絶対視している訳ではないし、教科書の内容を擁護するとは言っていません。
言ってもいない事に反証しても全く意味がありません。マグロウヒル社に送るなら分かりますが。

また「秦氏が日本の関係機関の統計などの資料に基づき2万人程度と推定しています」とたったひとりの説、しかもあくまでも勝手な推定ですから、信頼度の高い絶対値でないと20万人説を覆す力はありません。

それと「日本の関係機関の統計」とは一体何ですか?秦氏の2万人説にはそんな出典の明示はありませんよ。

平時の
戦前期の「内地公娼関係統計」の事を言うのでしょうが、慰安婦制度が確立した時は当然国内も戦時体制下であって、海外戦地の状況をも反映されない戦前の統計が、慰安婦の実数を推測する上で有効な資料になり得ません。また統計の数字の扱いもズサンで批判されていますが、それについては秦氏はなんの反論もされていません。15年以上も放置したまま再検証も怠っているわけです。
そんな取って付けた統計に基づく推計なんて、無価値に等しいと思います。
22bb2fb7



娼妓取締規則に基づく警察署の慰安婦登録のデータではありませんよね。海外渡航した慰安婦のデータでもありませんね。存在もしない信頼に足りる統計資料をさも存在するかのようなウソが見られます。
 



(3)「慰安婦が毎日20人~30人の男性を相手にした」

氏が上記記述に異議を述べる根拠のひとつとして日本陸軍の海外兵力は1943年で100万人と誰も信じない数字を相変わらず持ち出しています。これでは反証になりません。
秦氏が言う「慰安婦は売春婦だと米軍も認識していた」という理由の根拠とした「ミッチナ捕虜尋問調書」の証言を基に計算すると20~30人は当然の帰結として導き出されます

(4)「多数の慰安婦を大虐殺した」
原文は「soldiers massacred large numbers of comfort women to cover up the operation. 」
「兵達は(慰安所)運営を隠蔽するために多くの慰安婦を殺害(または虐殺)した」と訳すのが普通でしょう。
多数を大虐殺っておかしい日本語じゃないですか? massacreを大虐殺とholocaustを連想させるような意訳をして否定しやすい印象操作をしています。

「もしそういうことがあれば、東京裁判や各地のBC級軍事裁判で裁かれているはずです。」

「ミッチナ捕虜尋問調書」には次の一説があります。
「彼女たちは、「慰安婦」が捕虜になったことを報じるリーフレットは使用しないでくれ、と要望した。彼女たちが捕虜になったことを軍が知ったら、たぶん他の慰安婦の生命が危険になるからである。」
日本軍は慰安婦が英米軍に捕らわれそうになったら、殺害するということを示唆しています。

慰安婦を殺した例は日本の将兵の証言があります。一部の慰安所ではそのような事があったとされています。慰安所では多くても慰安婦数は数十人だったので南京事件のような数字には到底及ばないとは思います。ただ虐殺の証言は複数残っているので完全否定はできませんね。 
それに東京裁判以降に判明した事件や事実も数多く、多くの研究者によって歴史の発掘の努力が続けられています。

BC級軍事裁判はほとんど捕虜虐待や虐殺が対象で、当時、日本軍の基地・駐屯地内の出来事は対象外でした。勿論毎年7000人以上もの兵が軍紀違反として処刑されたことなども不問にされています。
その裁判の性格上、軍属に準じた朝鮮人・台湾人慰安婦の殺害なども当時重要視される対象とならなかったわけです。
日本の戦争犯罪の中でも捕虜虐待を特に重視していたのはポツダム宣言の第10項で明らかです。
(10)  We do not intend that the Japanese shall be enslaved as a race or destroyed as a nation, but stern justice shall be meted out to all war criminals, including those who have visited cruelties upon our prisoners. 以下略


氏は軍事裁判の詳しい内容も知らずに、東京裁判史観がどうのこうのと言う資格はありませんね。
「戦後レージームからの脱却」を標榜する国のトップでさえポツダム宣言を詳らかに読んでいないのですから、氏のような無責任な人にはそれを言っても仕方ありませんが。



以下教科書内容以外にも色々と述べておられます。

「どうして日本の慰安婦が規模において特筆すべきものだという断定が可能なのですか。」
とバカげたことを言っています。

20万人でなくとも2万人という数字でも当然特筆されると思います。仮に人数を無視しても、広範囲にわたる戦地という面や慰安婦にされた現地住民の(第2次世界大戦後に独立した)国籍の多さも断定に値するのではないでしょうか?
朝鮮人台湾人、中国人華僑フィリピン人、インドネシア人、オランダ人、ベトナム人、マレー人、タイ人、ビルマ人、インド人、ユーラシアン(白人とアジア系の混血)、太平洋諸島の人々が慰安婦とされました。
広範囲の戦地に数万人の慰安婦を連れ出した例は日本軍だけです。ナチもスターリングラードまで娼婦を帯同させていません。
僅かに戦後のフランス植民地軍の例があるだけです。しかもフランス軍は植民地の中だけの話です。

map


「軍隊による組織的な管理」は誤解を与える表現です

全く資料を読んでいないから言えるのでしょう。それを証明する資料は多く存在します。歴史学者でなくとも曲りなりにも学者を名乗るなら日本政府調査資料集くらい目を通さないとモノを言う資格なんてありませんよ。 


「慰安婦が性奴隷ではなく、賃金を受け取っていた売春婦で・・・」

と奴隷の定義を無視した発言も相変わらずです。今時賃金を得ていたから奴隷ではないという主張は通りません。日本も批准しているローマ規定も読んでいないのでしょう。性奴隷を語るべきではありません。


「軍が関与して制定したのは、
強欲な業者の専横を抑え、慰安婦の権利を守るためでした」

廃業の自由を認めず、外出の自由を奪い、監禁を常態化させる規則や1日14時間プラスの性労働時間と月1回だけの休日という規則は慰安婦の人権を完全に蹂躙しているじゃないですか?いくら戦前に女性蔑視の風潮が蔓延っていたとしても、「権利を守るとは」どんな人権感覚の持ち主なのでしょう。


「軍と業者の間、業者と慰安婦の間はいずれも契約関係にあり、公娼制度が存在した当時の法律に照らして合法的なシステムでした。」

当時の法律に照らして合法的なシステムでは決してありません。当時の法律とはどの様なもので、実際の契約を示す文書を提示されるのなら説得力があるというものですが、それを具体的に提示するとその違法性が明らかになるので、氏は決して合法といえる証拠は出さないでしょう。



「日本の慰安婦制度が所期の目的をほぼ達成したことは、現地での強姦事件が殆どなかったこと、また、現地の女性との混血児を残していないこと、などに表れています。」

よくもまあこんなウソが言えたものです。その話を真に受ける人はほとんどいないでしょうが、疑問のある向きは拙ブログでそれがウソとしっかり確認できます。

混血児については、特に中国では古くより「間引き」が当然のように行われていた(現在でも女児はその犠牲になっていることが多い)し、望まれない妊娠には当然民間堕胎は行われていたと考えるのが普通でしょう。
中国での病院の手術記録は見つかっていませんが証言は記録されています。もし混血児が生まれても外見上は判別つきにくいでしょうから、混血児だということを隠し続けたのは容易に想像がつきます。敵兵の子供と烙印を押されれば迫害されるのですから。

要はネット上でよく持ち出される韓国・ベトナム混血児「ライタイハン」のような混血児と対比したいのでしょうが、それとて合意のもとでの結果も多く、全てが強姦の結果ではありません。男が養育放棄して韓国に帰国したから問題となるケースが多く数については1千5百~3万と諸説有。また9割は韓国人ビジネスマンとの子との指摘もあるWikipedia、フィリピン人との混血児、所謂「コピノ」(3万人WallstreetJournal)と同様です。「ジャピーノ」は現在(約10万人Wikipedia)いるとされています。

東南アジアでも混血児が白眼視されるのは必定となれば、混血児を隠し通したとしても何等不思議ではありません。フィリピンは中国と違いカトリック信者が多く中絶はしないので混血児は生まれています。軍は問題が出れば取りあえず結婚したという体裁をとったようです。インドネシアでも同様に問題が大きくならない体裁をとりましたが、いずれにせよ名目上の夫=日本兵の多くは戦後日本に復員したので結局養育放棄となりました。

それにもし強姦の結果の混血児であっても母親は「あなたは私が日本兵に強姦されて生まれた子です」と言えるものでしょうか?「仕方なしに生まれた子」というのは親として絶対隠し通すのが当たり前でしょう。ましてやそれを問題にし、公にするのはとても出来るものではなかったはずです。

仮に混血児として声を上げたとしても、人権意識の希薄な藤岡氏らは己の勝手な主張のため、相手(日本兵)が特定できないことを理由に捏造混血児として二次被害を拡大させるのでしょう。

また日本においては日露混血児は問題になっていませんが、だからと言ってソ連兵の強姦はなかったことにはなりませんね。

強姦は敵対する勢力圏内で多く見られたのですが、治安の安定した地域や占領政策がある程度順調であった場所や、戦闘地域でない後方ではさすがに軍も住民の反発を招く強姦には厳しかったようです。
しかし中国での敵性地区やフィリピンの反乱地区、インドネシアの一部等ではそういったことはありませんでした。



いずれにしても素人の私でさえ氏の主張を「論破」できる訳ですから、「歴史家」の人達がまともに受け入れる訳がないでしょう。

さらに氏は各国の例を挙げたりしていますが、あまりにもくだらないので、後日暇なときに検証したいと思います。

そして最後の方に「学術的討論の開催を提案する」と言っています。
「声明」の訴えたかったことは「学問の自由」であって「国家権力が学問の検閲をすべきでない」とする主張に藤岡氏は何等答えていません。


今回の藤岡氏の発表は「声明」で指摘した点を鑑みないで、もう何年も前から○ホの一つ覚えでしかない妄想や屁理屈を性懲りもなく並べ立てている事や、数多くの証言や文書を無視する態度から、学術的討論にならないのは目に見えています。真摯に学問を追及している学者達には無視されるのがオチでしょう。

しかし彼らからなんの反応もなければ氏は「歴史戦に一定の評価すべき勝利があった」とふれまわるのでしょう。 

英語で発信するのもいいのでしょうが、2007年アメリカ下院で対日非難決議がなされる前に提出されたLarry Nikschによる報告書「Japanese Millitary’s ”Comfort Women” System」を真面目に読んだらどうですか、と言いたいですね。
10年前ならいざ知らず、ちゃんと読めば常識ある人は恥ずかしくてこんなもの発信できませんよ。


拡散させようとするネトウヨも恥をかくだけです。
後に「穴があったら入りたい」と思うくらい恥ずかしくなりますよ。
ん??「穴があったら入れたい」って?そんなバカウヨは慰安婦問題から退場してください。

 
 

慰安婦は20万人いたのだろうか? 兵士の給料から逆算する

慰安婦総数は果たしてどれ位だったのだろうか?
「20万人はデタラメだ」というネトウヨはそれを自身で検証したのでしょうか?
私なりに考えてみました。

慰安婦制度が確立した1938年からの8年間を前提とします。
海外派遣兵を年平均200万人とします。(沖縄にも慰安所があったのですが今回は除外します)

内地の公娼の場合1~2年契約とされていたようですが、中国人・朝鮮人にはそれがきちんと守られていたか疑問ですし、交代補充が円滑に行われていたようにも思えないので長い年数を仮定しました。右派が主張するように「慰安婦は借金をすぐに完済できて、立派な家も建てた」というウソをそのまま信用すれば交代率は5以上になりますが、ここでは冷静に2.5年で廃業したとしておきましょう。 

ウソの例「日本人女性からも応募が殺到したのも事実である。慰安婦は当時の大卒者の10倍近い高給取りで、故郷に家が建った。」小林よしのり氏 

goman

この漫画にあるように確かに兵隊は1回ごとに料金を払っていましたが、「当時の月給の3分の1くらいの高額だ」は明らかに歪曲で、(漢口での全軍の兵士の金銭出納帖を調べたという)小野田元少尉は平均「月に月給の3分の1」を慰安所に支払っていたと証言しています。
また小野田氏は兵隊は料金は1円50銭だったとしています。

要するに兵隊は複数回利用し、その金額が3分の1ということです。

漫画では「高額だ」と言い、いかにも慰安所の料金が高いと思わせる歪曲です。


慰安婦の収入が一般兵士の100倍ということは、小野田元少尉によると兵の給料平均13円ということなので、1300円を得ていた事になります。


下記の公文書に記戴されている慰安所料金を元に計算してみましょう。

慰安婦が手元に1300円を得ようとすれば、最低その倍は売り上げねばなりません。
2600円÷1.5円≒1733、即ち月1700人以上の兵を相手にしたことになります。1日56人以上!多い日の人数ならいざ知らず、毎日ですよ!休憩すらおぼつきませんし、天引きされる経費を勘案すれば一月30日では到底足りません。
実際には家を建てた慰安婦なんていなかったでしょう。もしその証拠でもあるならどなたでも結構ですからご教示願いたいものです。


そして応募が殺到したというのですから、国内で慰安婦を一般募集したのですか?殺到した事実ってなにを根拠に言ってるのでしょう?

慰安所があるなんて当時一般国民には知らされていなかったはずです。もし当然のように公表していたら銃後のご夫人方が納得しないと言うことぐらい当然軍中枢もわかっていたのです。
いくら当時女性の地位が低かったとしても、戦地に赴く夫や息子や兄が慰安所通いをするのを当然だと考えていたのでしょうか?
当時の秋田県知事でさえ皇軍が慰安婦を必要としたことを知り、「俄かに信じがたい」と公電を発しています。

皇軍兵士は規律正しく正義に身を捧げる勇士だというのに、女通いができると発覚すれば、銃後の人心に示しがつきませんよ。



naichi
注 小林よしのり氏のマンガではありません



実際それを証明する公文書が残っています。
 
シナ3


通牒書 警保局長 「南支方面渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」 昭和13年11月8日 

「婦女を密かに募集すること」とあり、国内では慰安婦の募集は秘密裏に行うよう指示が出されています。

国内では慰安婦をおおっぴらに募集できなかったので、慰安婦の仕事内容を隠した就業詐欺の例も多くみられます。
虚偽説明の多くは兵士の世話であり看護婦の資格が取れるとかというだけでなく、事務員という全くウソの募集もありました。

東京市飯田町職業安定所では「女性事務員」、最高60円、最低40円の募集に1,200人が応募し、32名が採用されましたが、彼女らは事務員ではなく慰安婦にさせられた」
週刊大衆1970年8月20日号

虚偽の慰安婦募集には日本人女性も殺到したというのであって、小林よしのりは悪質な手口を伏せ、醜悪なデマにすり変えています。






また以前も書きましたが、「日本女性からも応募が殺到した」なら、何故朝鮮人慰安婦が必要だったのでしょう?
日本兵は朝鮮人が好みだったのですか?※1


まあ話しは少しそれましたが、本題に戻ることにしましょう。

兵が1年間で利用する回数は平均25回程度と推算します。
これは一般兵が慰安所に使える金額が兵の給料の3分の1、月3~4円 という小野田元少尉の証言から導き出した回数です。
月2回程度とかなり控えめな数字と考えますが、とりあえずこの数字で試算します。

200万人の海外派遣兵の延べ利用回数は1年で5000万回となり、慰安婦が年350日 働いたとすると以下の数字がでてきます。

年慰安婦数3万人 1日の対応人数      4.76人    慰安婦総数9.6万人
年慰安婦数2万人 1日          7.14人   慰安婦総数6.4万人
年慰安婦数1万人 1日           14.28人   慰安婦総数3.2万人


従事した年数を2年半としましたが、その間に死亡も含め病気などの理由で廃業した人(損耗率)も考慮すると、もっと交代率が上がるかと思います。 

陸軍の慰安婦300人以上を対象とした調査では平均稼業日数は月に27日とあるので、慰安婦総数は1.08倍増えます。

帰国後再度慰安婦 になった人はほぼいないと考えられるので交代率には考慮しません。
(2度もだまされて慰安婦をさせられたという文玉珠さんの場合は例外でしょう)

戦闘が激化するに従い、明日無き日々を送った兵は有り金全部つぎ込んだという話があります。
ごく普通に理解できます。昭和18年以降は慰安所の利用率も高かったでしょう。 

中国においては支那人は1円という慰安所規定も残っています。そうすると更に利用率が上がります。 
menjo022019

これは慰安所のいわば割引券です。証言によると1.5円の料金が1円に割り引かれたそうです。
褒美として貰えたのでしょう。




実際、慰安所は上海事変1932年以降設けられましたが、初期の頃は私娼窟を準慰安所として利用していたこともあり、軍関与の慰安婦との境目は判別つきにくいので、試算には8年間の前提をしたのですが、実際は慰安婦が存在したのは13年間です。
上記慰安婦総数の試算は支那派遣軍60~100万人の兵が慰安所を1938年以前の5年間利用したことを考慮していません。試算に1~2万人は加算しなければなりません。

慰安所を利用できた軍属も計算に含めなかったので、それを考慮すると試算した人数よりも多い人数にはなります。

慰安婦の移送の日数は考慮に入れてないので、それを勘案すると1日の対応人数は若干上がると考えられますが誤差のうちでしょう。



以上試算はかなり低く見積もってのものです。
個人的には7~10万人程度ではなかったかと考えます。

shina1
常州駐屯間内務規定 1938年3月

他地域でも兵1円の規定もあります。
dokuritu
慰安所に関スル規定 獨立守備歩兵第35大隊 1942年6月



iroiro2
慰安所規定送付ノ件 1942年11月 軍政監部ビサヤ支部イロイロ出張所







外国特派員協会記者会見 2015/3/17 での秦郁彦氏の主張は
「20万人の慰安婦が毎日20人から30人の兵士たちに性サービスをしたと書いてあるんですが、当時海外に展開した日本軍の兵力は約100万人です。教科書に従えば、接客は1日5回という統計になりますから、20万人が5回サービスすると100万になりますので、兵士たちは戦闘する暇がない。毎日慰安所に通わなければ計算が合わなくなるわけですね(会場から笑い)。そういう誇大な数字が教科書に出されているということです。 」

20万人が一度も欠勤せず8年間働き続けたというムチャな論法になっています。性病その他の病で廃業した人数も考慮せず、交代・補充を含む合計人数という前提がありません。およそ学者というには程遠い主張です。
また度々指摘していますが「・・日本軍の兵力は約100万人です。」とでたらめな人数を言うのもおかしいじゃありませんか?
そんなウソや歪曲した理屈をコネないと、20万人説を否定出来ないと言うことでしょうか?

でも右派のウソを真に受けて計算すると1日5人対応(秦郁彦説)立派な家を建てたほど高給だったので交代率5とすると総数21.3万人の慰安婦が必要となります。皮肉な数字になりますね。それも強姦を防ぐ人道的制度の効果は最低でも兵が月3回程度利用しないとダメだと思いますので、それも考慮すると30万人を超えます。まるでどこかの高校教科書に書かれてある数字以上じゃないですか 笑  
但し海外派遣兵は別記事に詳細を記していますが日本政府統計により100万人は100%否定できますので採用しません。




20万人説は劣悪環境で慰安婦の使い捨てが横行し、更に兵が給料のほとんどを慰安所に使ったなら考えることもできますが、慰安婦数がそんなに多いというのも根拠に乏しいと考えます。しかし交代率が上がるような要素が見出せれば充分に考えられます。


しかしあくまでも私の推計は軍が制度として設置した慰安所における慰安婦(狭義)の数であり、中国本土、フィリピンなどの戦場や占領地域の敵性地域での「討伐」 において頻発した監禁・強姦の被害者は広義の慰安婦とも言えます。

フィリピン従軍慰安婦補償請求事件の訴状における証言
http://www.awf.or.jp/pdf/193-f1.pdf
 

被害者からみれば、日本軍の兵に監禁・強姦された事実を慰安婦被害者と語っても本質的には慰安所の慰安婦と同じですから、その被害者を慰安婦として加えるなら私の推計をはるかに超えることも否定できません。





慰安婦の一日の対応人数ですが10時から5時までは一般兵に割り当てられ、7時間で食事・洗浄・用足し等の時間に30分~1時間とすれば20人程度、5時~12時の将校タイムでは10人程度、合計1日のMAXが30人程度となりますが、この数値はよほど強制力が働かないとこなし切れないと思います。
ミッチナ捕虜尋問調書に記載されたスケジュールを元に算出しました。
一般兵と将校の比率を考えると、一般兵は早い者勝ちみたいな倍率ですね。

前線に近い慰安所では慰安婦も不足していたかも知れませんが、後方ではもう少しゆとりがあったかも知れませんし、暇な日も当然あったでしょう。

正確な慰安所記録が残っていませんので推測にしか過ぎませんが、先の調書に書かれてあるように、慰安婦はスケジュールに従っても兵の数に対応できず、不満を述べたと証言しているので、多い時で30人程度の対応人数は否定できません。
 



※1

「一九三七年末から蕪湖に駐屯した野砲第六連隊長藤村謙大佐も、強姦を懸念して、内地から慰安婦を呼んだが「日本女性と朝鮮人女性とが来たが、後者の方が一般に評判が良いので逐次之に代えることにした」と回想している。」
藤村謙『変転せる我が人生』(私家版、一九七三)一一〇ページ
 秦郁彦氏「慰安婦と戦場の性」P88

「戦地へ送り込まれる娼婦は年若き者を必要とす。而して小官某地にて検黴中屡々見し如き両鼠蹊部に横痃手術の瘢痕を有し明らかに既往花柳病の烙印をおされし、アバズレ女の類は敢へて一考を与へたし。此れ皇軍将兵への贈り物として、実に如何はしき物なればなり。如何に検黴を行ふとは言へ。」
「一応戦地へ送り込む娼婦は、内地最終の港湾に於いて、充分なる淘汰を必要とす。まして内地を喰ひつめたが如き女を戦地へ鞍変へさす如きは、言語同断の沙汰と言ふ可し。」
 第十一軍第十四兵站病院麻生徹男  防衛庁防衛研究所 「衛生・医事関係資料の調査概要」P37 
www.awf.or.jp/pdf/0062_p033_039.pdf

要するに内地ではいい人材が確保できなかったということです。応募が殺到したというのがウソとわかります。






 

アメリカも認めた売春婦? 但し慰安所軍関与説を補完する引用

アメリカも認めた慰安婦は売春婦と同じだったという主張について

いわゆるミッチナ捕虜尋問調書に記載されている次の文章ですが
「A "comfort girl" is nothing more than a prostitute or "professional camp follower" attached to the Japanese Army for the benefit of the soldiers. The word "comfort girl" is peculiar to the Japanese.」

「"慰安婦"とは、軍人にサービスするために日本軍に配属された売春婦、すなわち "将兵専門のプロの娼婦"としかいいようがない。"慰安婦"という言葉は日本人特有のものだ。」
camp followerは直訳では基地の従者ですが前後の文脈からこの訳に違和感はないでしょう。

さてこの文章を元にネトウヨは「慰安婦とは売春婦だとアメリカ軍も認めている」と拡散させています。

単純に考えればそうですが、慰安所に関し予備知識のない米軍が、捕虜は慰安婦と言っているが 、それは米軍の認識では慰安する女子じゃなく売春婦だと説明しているだけです。

「comfort girl?そりゃ一体なんだ?」
尋問するうちに「なんだ売春婦以外何者でもないじゃないか」と判明したのでそう記録したんだと思います。
しかし(comfort girlという概念がアメリカにはなく)「日本人特有のものだ。」と述べているところがキーポイントです。

私たちが慰安婦と売春婦の違いを論争するほど彼らは慰安婦の特異性を認識していたはずがありません。
それを”peculiar to the Japanese”をほぼ無視し、あざとく解釈して慰安婦=合法売春婦説にすりかえていると思いませんか?
しかもたった2人の日本人"the Japanese"="house master"の証言だけですよ。主張の蓋然性は無きに等しいと言えます。 

まあ多くのネトウヨは原文解釈までしていないでしょうから、鵜呑みにしているのでしょう。「ネトウヨは二行しか文章を理解できない」と揶揄される所以だと思いますよ。



「1944年にビルマでアメリカ軍が20人の朝鮮人慰安婦を捕虜にいたしまして、詳しい尋問記録を残しております。その中で彼女たちは日本軍に所属している売春婦だ「"nothing more than prostitute or "professional camp follower"」と結論しております。」 秦郁彦2015年外国人記者クラブ会見  
てかこの人は数学もさることながら英文読解も非常に弱い偏差値36くらいに劣化していますよ。

「慰安所は民間業者が不特定多数の客のために営業する通常の公娼施設とは違います。軍が軍事上の必要から設置・管理した将兵専用の施設であり、軍の編成の一部となっていました」と永井和京大大学院教授が指摘していますが、""comfort girl" is  ****** attached to the Japanese Army"日本軍に所属している売春婦と認識している秦氏は、永井教授の見解と同じで慰安所は軍の密接な関与があったと認めることになります。
秦氏は慰安婦を単なる「売春婦」と言いたいがために「ミッチナ捕虜尋問調書」を持ち出したのですが、「慰安所はいい金儲けが出来ると民間業者が部隊の傍で営業した」という軍責任回避論を覆す引用じゃないですか?


そういった主張をする歴史家に対し著名な権威ある歴史家達が
「特定の用語(この場合売春婦)に焦点をあてて狭い法律的議論を重ねること・・・(は)より広い文脈を無視することにほかなりません。」と諭している訳です。


ネトウヨが喜んで引き合いに出す「マッカーサーも日本は自衛の為に開戦に踏み切った」も良く似た手法です。
文章全体を吟味せず一部の単語だけで意訳(ほぼ意図的に誤訳)・拡大解釈しています。
ここでは本題ではありませんので詳しい説明は改めてUPしたいと思います。

ギャラリー
  • 産経ニュースのウソと歪曲
  • テキサス親父のペテン
  • テキサス親父のペテン
  • テキサス親父のペテン
  • 「戦況悪化で朝鮮人女衒に捨てられた慰安婦」のウソと虐殺事件
  • 「戦況悪化で朝鮮人女衒に捨てられた慰安婦」のウソと虐殺事件
  • 「戦況悪化で朝鮮人女衒に捨てられた慰安婦」のウソと虐殺事件
  • 「戦況悪化で朝鮮人女衒に捨てられた慰安婦」のウソと虐殺事件
  • テキサス親父のウソ
コメントは歓迎しますが、当ブログに関係ない嫌韓ネタや記事に直接関係ないもの。その他極端な誹謗中傷・脅迫・ヘイトなどは独断で削除します。
謝罪や賠償問題は当ブログのテーマではないので、それらに関するコメント書き込みも削除する場合があります。また「朝鮮人強制連行」を否定する主張は当ブログのテーマとは関係ありませんので受付ません。 韓国政府の主張にも慰安婦像横のプレートにも書かれていない朝鮮人慰安婦20万人を否定しても意味がありません。慰安婦は朝鮮人・台湾人・中国人・フィリピン人・インドネシア人やベトナム・ビルマ・マレー・インド人、他南洋の女子が慰安婦となってたのは日本の公文書で明らかです。