慰安婦問題の疑問点 それってウソでしょ

当ブログは主に日本のネット上でのウソを検証しているので、世界中(特に韓国や中国、欧米の主要メディア)のウソを検証してはいません。

慰安婦問題の疑問

マイケル・ヨン氏に騙されるな その3

「マイケル・ヨン」のGoogle検索でアクセスされる人が非常に多いので、「マイケル・ヨンに騙されるな」の続きをエントリします。


IWG最終報告書の一説

「これらの人々に対して、私は明確に述べておくが、IWGはアジアにおける戦争犯罪についての関連記録の調査において勤勉かつ徹底的であった。IWGはアジア戦域の記録をほとんど発見・発表しなかったが、そのような米国の記録で機密扱いのままの物がほとんど無いためである。

機密でない記録はIWGの管轄ではなかった

日本帝国政府開示法の下で公開された記録が少ないことで生じるかもしれないあらゆる懸念に対処するために、我々は読者に、第二次大戦の日本に関する記録からの収集、発見、報告を採録した発行物を提供する。
米国立公文書館の専門家たちは、第二次大戦の日本の記録についての本当の問題点は、それが数において少数であることではなく、大部分が調査者らに活用されていない状態であることだと証言する。

これらの記録の十全な吟味を促すために、IWGは「Researching Japanese War Crimes: Introductory Essays」を発行した。
http://www.archives.gov/iwg/japanese-war-crimes/introductory-essays.pdf

この冊子で、我々はこの問題に関心のある一般国民が、これらのテーマに関連しかつ学者、ジャーナリストやその他調査者によりまだ充分に活用されないでいる、国立公文書館に存在する過去に機密解除されたあるいは機密指定されていない幅広い文書に触れることを希望する。(後略)」

原文

To these people, I state unequivocally that the IWG was diligent and thorough in its search for relevant records about war crimes in Asia.
The IWG uncovered and released few Asian theatre records because few such U.S. records remained classified.

Unclassified records were not under IWG jurisdiction.


To address any concerns that may arise relating to the dearth of documents released under the JIGDA, we refer readers to publications that document the capture, exploitation, and return of Japanese records from World War II.
NARA archivists attest that the real problem with Japanese documents from World War II is not that they are few in number, but that they are largelyunderused by researchers.
To encourage the full review of these records, the IWG published Researching Japanese War Crimes:

Introductory Essays.With this volume, we hope to expose the interested public to the breadth of previously declassified or unclassified records within the National Archives that bear on these subjects and that remain to be fully exploited by scholars, journalists, and other researchers.
(Prefaceのxii・xiiiページ)


要するに機密であった文書には日本軍記録が少ないことで生じるかもしれないあらゆる懸念に対処するために別レポートを発行するとしています。
そして発行された冊子
Researching Japanese War Crimes: Introductory Essays
の39P~41Pには
From Mass Rape to Military “Comfort Women”との項目があり慰安婦の記述があります。

RJW




マイケル・ヨンはこの冊子について完全に無視しています。

同冊子の41Pには 

The number of women victims remains a subject of disagreement; popular accounts frequently give the figure of 200,000.

Takasaki Shōji, an expert on Korean history and chair of the AWF History Committee, emphasized the distinction between the Korean women’s volunteer corps (teishintai), who were sent to work in factories in Japan, and “comfort women.”
As he noted, these two terms had been confused by many Korean activists and had led to an inflated estimate of the number of Korean “comfort women.”


女性の犠牲者数は20万人説が一般的ですが、確定していないとし、
高崎宗司氏(原文表記Takasaki Shōji)の指摘「多くの韓国の活動家は女子挺身隊と慰安婦を混同して慰安婦数の膨張をもたらした」との記述もあります。

慰安婦数についても一方的な解釈でなく冷静な分析をしています。



「日本軍記録が少ないことで生じるかもしれないあらゆる懸念」とはマイケル・ヨンのような輩が出てくるといったことも念頭にあったのでしょう。
産経新聞は報道機関として当然すべき検証を全くしていませんね。
この内容をどう解釈したのでしょう。






「SAPIO」2016年3月号の相も変わらずカビの生えた記事

日韓合意 「日本が性奴隷を認めた」との認識が海外拡散


http://www.news-postseven.com/archives/20160223_384250.html?PAGE=2

※SAPIO2016年3月号
の記事の紹介

ニュースポストセブンのWEB記事ですが、相変わらず10年ほど前から何ら変わらない理屈には辟易します。


「しかし、改めて指摘するが、慰安婦は戦時下の「公娼」であって「性奴隷」ではない。また、朝鮮半島や台湾では軍など公権力による強制連行は確認されていない。」

確かに朝鮮半島での公権力による(暴力的な)強制連行を示す「公文書」は当然確認されていませんが 、
公権力によって強制され、連行された「証言」は多く記録されています。


また戦時下の「公娼」とはどういう存在を意味するのか?
戦時下という前提に何がしかの意味を含ませているのは何故だろう?


南支派遣憲兵隊憲兵上等兵の著作からの引用


「では彼等慰安婦の稼業状態はどんなものであったろうか。…稼業許可規則も、あいまいなものであった。有夫の婦人と、
十五歳未満以外の女は例外なく許可された。未成年の場合は、親権者の同意書とか、戸籍抄本が必要となっていたが、戦地外地という特殊事情から殆ど省略されていた」鈴木卓四郎「憲兵下士官」
p60・61)1974年
日韓で慰安婦問題が表面化する以前の出版です。

このように「娼妓取締規則」に則らない、国際条約にも違反した慰安婦のことを
SAPIOは戦時下の「公娼」と呼ぶのでしょうか?




慰安婦がみんな「公娼」 だったという確たる「公文書」は確認されていません。
一部の日本人慰安婦の「証言」 や将兵の「証言」しか残されていなのです。

それなのに改めて断定的に
「公娼」であったと言うからには新たな証拠が発見されたのでしょうか。
勿論記事にはそういった類の証明はされていません。
単なる都合のいい思い込み主張であって、各国の記事論調を否定することはできないでしょう。

当時の内地でも違法な徴募を示す「公文書」が残されています。

ましてや朝鮮や台湾においては多くの未成年者が南方の戦地へ移送(海外渡航)されています。
「公娼」なれば21歳以上の女子しか海外渡航できなかった筈です。

当時も日本は国際条約を批准していたから、

(植民地=併合地内での公娼は英国と同じく年齢条件の条約内容を留保していたが)
未成年の海外移送は条約違反です。移送手段は日本の船舶や日本の車両です。
他国の状況はともあれ国際的に非難されて当然です。

そもそも軍は慰安婦の身分や保護を定めた法体系を整備していません。
まさに軍の独断であったのです。
法が存在せずに慰安婦は「合法」といったいった理屈は成立しません。
当時の国内法や国際法に違反していなければ、「当時の法には違反していない」と言えるでしょうが、海外移送された慰安婦が「合法」とは日本語の使い方としては不適切でしょう。
公娼を定めた「娼妓取締規則」は日本(内地)だけの法律です。



 
大多数は自らの意志で働いていた。しかし、そうした事実に触れている記事はほとんどない。」

という自らの意志で働いていた事実があったとしても、大多数だと確認できる証拠は見つかっていません。そりゃ記事として書けないでしょう。

むしろ多くの慰安婦や日本人将兵の証言記録だけでなく、米軍の捕虜尋問調書49号でも703人の
朝鮮人慰安婦はほとんど騙されていたという内容の記述があります。

まあ前借金を受け取った親に「結果的」に売り飛ばされた事を認識した慰安婦が、
自らの意志じゃなくて家族もろとも「騙された」と証言したかも知れないが、リアルな手口が記述されている以上、それらを否定しきれないでしょう。





実際、1944年に米・戦時情報局(OWI)が作成した記録には、「接客拒否の権利も認められ、外出の自由も保障されていた」と記されている。

これなんかは所謂「いいとこ取り」の歪曲であって、「外出の自由も保障されていた」という記述は全くないウソです。
"freedom of going out"なんてどこに書いてあるのでしょう。
外出は"allowed to"として許可制だったことが記されています。


許可制は届出だけでは法的効力が生まれません。仮にすべての申請を許可したとしても、許可という権力行為が必要である以上、当時の法律と大審院判決に違背するものです。ましてや「自由」なんてどう解釈しても出て来る訳がありません。


過去エントリでもそれを指摘しています。
慰安所規定送付ノ件 1942年11月 軍政監部ビサヤ支部イロイロ出張所

では「慰安婦外出の厳重取締」と記されています。



「慰安婦の外出は自由であった」福岡良男「軍医のみた大東亜戦争」p139
との証言もありますが、全慰安所で外出の自由があったとは言えません。

なぜなら多くの「軍慰安所規定」では外出は厳禁とか許可制とか限定地域のみ許可とかの規定が記されています。

また
福岡氏の同著書には

「どうして慰安所で働く気になったのか」
「ニコラスは喫茶店と言いました。一日三度、肉と魚でご飯が食べられ、お金のほかに、洋服がもらえるところと言われました」
と怯えるような態度で重い口を開いた。
「ニコラスが恐いのです。ニコラスは、もし逃げたら憲兵につかまって殺されると言いました」p136
インドネシア人の御用商人ニコラス・タンブブンは慰安所の女性集めもしていた。

「外出の自由」も、どの程度か疑問です。 

「終戦後、IM部隊の慰安所の慰安婦に主計から沢山の軍票と布地が与えられたが、出身地には帰れぬ女性が多く、哀れであった」p176

との記述もあります。
(日本軍兵士や軍属は敗戦により軍票はただの紙切れと認識していました)





SAPIOはまた「1944年の戦時情報局の記録では・・」と言う(慰安所経営者と思われる)証言(主語がないのであやふやな記述)を基に「慰安婦は将校より高収入であり・・」としていますが、後の1945年のATIS米軍調査記録120号ではミッチナの「慰安所経営者の証言」と明記して「慰安婦は月売り上げが最高1500円、最低300円、最低150円を経営者に支払らわねばならない規則だった」との証言が記録されています。

即ちどちらが信憑性があるかといえば当然主語(キタムラ)のはっきりしている後者の方でしょう。

150円を最低払わなくてはならなかった規則は、慰安婦がいくら体調が優れなくても勿論病気であっても最低月100人の兵を相手にしなければ手取0どころか借金になるという事です。
しかも天引きの諸経費を考えると、最低その倍の「仕事」をしなければなりません。
「性奴隷」ではないとなれば、その規則をどう説明するのでしょう。


しかも1944年の調書には「慰安婦は生活に困窮した」とも書かれてあります。



また記事は「毎日40人の日本兵を相手にさせられた」という元慰安婦チョン・オクスンさんの証言を否定していますが、

慰安婦は将校より高収入であり・・」というなら実際に慰安婦の手元に入ったか別にして月1000円を得ようとするならば、慰安婦は売り上げの約半分が荒取り分という規定を基に計算すれば、月2000円÷1.5円≒1330人以上、即ち毎日休みなしに44人以上の兵を相手にしなければならず、証言の否定はできません。
下士官や僅かな将校を相手にして多少売り上げが上がったところで、生理休みを考えれば大きく違いません。

SAPIOが指摘した「1944年の戦時情報局の記録」には
「ミッチナでは、丸山大佐は料金を値切って相場の半分近くまで引き下げた」という記述もあります。
同記録にある1500円を売り上げるには(同記録記載料金、兵1.5円
を基に計算すると)1500÷30÷0.75(規定の半額)=66人/日となります。
つまり料金の高い何人かの下士官も相手にしたところで、間違いなく40人以上という試算になります。


記事の主張は明らかに矛盾しています。



本質的には計算上の理屈でなくて実際に慰安婦が「高額を得ていたか」が重要ですが、「アメリカ戦時情報局心理作戦班日本人捕虜尋問報告 第49号」の一節を都合よく解釈しているに過ぎず、記事が主張する確たるエビデンスは全くありません。








 

2007年に「強制連行がなかった」とする第一次安倍内閣の声明に反証をしているアメリカの報告書

以前紹介した
Japanese Military's "Comfort Women" System
  (2007) 
by Larry Niksch

の一節には

"A reference to the recruiting of comfort women in Korea by an American missionary in Korea, Horace H. Underwood, in a report to the U.S. Government after his repatriation by Japan in August 1942. (The report is in the U.S. National Archives.)"page 7

朝鮮にいたアメリカ人の伝道師 Horace H. Underwood が1942年8月に日本によって送還された後にアメリカ政府に対して朝鮮における慰安婦の採用について報告した。(この報告書はアメリカ国立公文書館にある。)


The U.S. Office of War Information also published a report from Horace H. Underwood, an American missionary in Korea up to the Japanese attack on Pearl Harbor on December 7, 1941. He described the Japanese "procuring of a variety of methods of large numbers of Korean girls, to be shipped to Manchurian and Chinese brothels" and this was "a fertile cause of hate" among Koreans. 31) Recruiters also used an apparent combination of inducements and intimidation aimed at the families of young girls that were significantly in debt to Japanese-sanctioned financial institutions.

の記述があります。

 日本政府により認可されている金融機関が、どの(若い女性のいる)朝鮮人家族が借金を抱えているかを報告させられているということを米国人の宣教師が米国政府に伝えたので、この宣教師は国外退去させられました。 


一般の慰安婦徴集に係わった業者(r
ecruiters)が金融機関から情報を簡単に入手できたとは思えない。行政機関の命令があったと見るのが普通で、それでなければアメリカ人伝道師が国外退去になる訳がないでしょう。

当時から脅迫を伴う勧誘が知られていたのに、官が業者に便宜を図ったということです。


原文
https://en.wikisource.org/wiki/Japanese_Military%27s_%22Comfort_Women%22_System

全文訳は
honyakushaさんのページを参照
http://d.hatena.ne.jp/honyakusha/200704



政府は2月15日からジュネーブで開かれる国連女子差別撤廃委員会の第63回会合で、慰安婦問題について「日本政府が発見した資料の中には軍や官憲による いわゆる『強制連行』は確認できなかった」と報告する。同委員会が政府から提出された報告書を30日までにホームページで公表した。同委員会で政府が慰安婦の強制連行説を否定するのは初めて。慰安婦問題について誤った認識の拡散に利用された国連で、正しい情報を発信しようとする政府の取り組みといえる。以下略(産経新聞)

また「ぶり返し」です。2007年となんら変わっていません。
正しい情報ならアメリカ議会に報告されたこのレポートを無視して国際社会が納得するでしょうか?
 

戦前も売春は合法でなかった証拠

桜田義孝発言「従軍慰安婦の問題が出るが、日本で売春防止法ができたのは昭和三十年代だ。それまでは職業としての売春婦だった。」という発言は批判を浴びて撤回したものの、相変わらずその認識は一部で蔓延っています。
桜田以前にも稲田朋美(一応訴訟法だけは知っている弁護士)も同様な発言をしていますし、ネット上では相変わらず慰安婦=売春婦(合法)という単純論法が蔓延しています。


しかし「娼妓取締規則」に則らない売春は当時でも非合法。
売春防止法ができて廃止されたのは、所謂公娼制度であって、それまでも公娼以外の売春が合法であったこと言う事ではありません。

勿論当時の警察も売春は取り締まっていました。


淫バイ
密売淫とは公娼でない非合法の売春の事です。芸妓の売春でも合法じゃなかったのです。

ウヨは
「現在の価値観で、過去を断罪するな」とよく言うが
まず桜田は「売春婦」として現在の価値観を持ち出しています。
即ち現在の自由売春と慰安婦の管理強制売春とを同一視することによって、批判を避けようとする単純なすり替えです。


戦前もほとんどの国(*1)で売春は禁止されていますが、売春や売春施設があったのは事実ですし現在もそうです。日本の場合、今でも売春施設といっていい店も存在します。

麻薬も同じで各国は禁止していますが、裏ではいくらでも手に入ります。 だからと言って「職業としての売春婦だった」ということならば麻薬や覚せい剤の密売という裏稼業も立派な職業という事になる。
桜田は覚せい剤取締法違反の人間を「この人の職業は違法薬物の販売員です」と言っているに等しいバカです。 

職業に貴賎はないと言うのは現代において当然の認識ですが、(敢えて言うなら当時の価値観では売春婦とは言わず公式文書でも差別的な「
醜業婦」と呼称していた)非合法な稼業まで職業と言ってしまう感覚には呆れてしまいます。
慰安婦は己の自由意志で身をやつしたか否かという以前の問題じゃないですか。




jokyu
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/hss/book/pdf/no103_05.pdf
より引用


表2の「女給数」の表は当時の風俗関係従事者の人数が記載されていますが、そのうち「女給」は現在の所謂クラブやラウンジホステスのようなもので、店によっては過激な性サービスをするところもあったようです。
またチップをより多く得るために枕営業もあったということですが、女給の場合は契約に縛られることなく、店の転籍も比較的自由だったこともあり、女給による自由売春は頻繁に行なわれていたようです。

しかし店ぐるみの売春の場合は摘発対象となり
表1の記載「飲食店」の多くはそういう店です。

参考資料 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/hss/book/pdf/no93_08.pdf



借金返済まで
廃業の自由のない「慰安所規定」は大審院判例や当時の国際条約にも違反する違法な規定でした。当時の女給待遇とはまったく異なります。

また慰安婦がすべて合法な娼妓であったという事実は全く存在しません。多くの証言や警察資料、外務省資料からも正規の手続きを踏んでいない事例が多く判明しています。
朝鮮や台湾に至っては手続きの有無は勿論、未成年女子の国外移送一つとってみても違法です。





(*1)「婦人及児童ノ売買禁止ニ関スル国際条約」に日本は1925年12月に批准。

当時の加盟国はアルバニア、オーストリア、オーストラリア、カナダ、チリ、中華民国、コロンビア、コスタリカ、キューバ、エストニア、ドイツ、ギリシャ、ハンガリー、インド、イタリア、日本、ラトビア、リトアニア、ノルウェー、オランダ、ペルシャ帝国、ポーランド及びダンツィチ、ポルトガル、ルーマニア、シャム、スペイン、スウェーデン。 
イギリスやスペインは植民地、オーストラリアやニュージーランドは委任統治を除外。

 

今でもネットで蔓延る「捏造慰安婦」とする3点セットのデマ

いつまでたってもネット上のウソは蔓延るものですね。

sakurai


元慰安婦の証言にある「クリスマスはいそがしかった」

実際の証言は黄錦周さんの
「三年目からは慰安所で下の兵卒の相手さ。あとは年々下がっていく。多い日で十五人ぐらい。クリスマスは二十人近かったね。カネは一度ももらってないさ。」という証言
「元従軍慰安婦 黄錦周の世界 2」朝日新聞(夕刊)、1995年7月25日

というのに対し



戦後まで日本ではクリスマスを祝う習慣がなかった。
という否定論

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戦前というより明治時代から「クリスマスケーキ」は売られていました。 「不二家」が明治43年に売り出しています。
また当時クリスマスツリーもありました。
明治時代には「クリスマス文化に重要な要素」は出揃っていたようです。

事実私の祖父は実家が森永系の喫茶店を営んでおり、「子供の頃からクリスマスケーキは毎年食べていた」 と言っていました。(空襲で店は焼けてなくなりました)


森永の創業者森永太一郎(安倍首相夫人の昭恵氏の曽祖父)はクリスチャンでした。

また祖父は「サンドイッチも弁当にしていた」 というのですが、昭和30年頃でも都会から離れた所ではマヨネーズは売っていなかったそうです。(キューピーマヨネーズ発売1925年)
要するに田舎の人間が当時を知らずに妄想だけで広げた話ですよ。

また伊藤博文を暗殺した安重根がクリスチャンだったことは有名ですが、当時の朝鮮でもキリスト教は広まっていたので、元慰安婦が12月25日がクリスマスだったという認識があっても何ら不思議じゃありません。

証言にはない 「クリスマス・パーティを楽しんだ」なんて書いて否定しているウヨブログもあります。 妄想もここまでくれば悪意を感じます。

休日ニ関スル件(昭和2年勅令第25号)で休日が定められるにいたって大正天皇祭(12月25日)が加えられました。
それで12月25日が休日となっていた昭和2年(1927)から昭和22年(1947)までの21年間で日本にクリスマスの習慣が広く普及・定着したとされているのです。

その背景は大正天皇は病弱であって、その時代の摂政であった昭和天皇の絶対権威を高めるためにも大正デモクラシーを彷彿させないように、あえて大正天皇祭をクリスマスとして祝うことを政府・軍部は否定しなかったのです。むしろ積極的だったとも考えられます。

当然軍隊でも休日だったと考えられ、息抜きをしたい兵がどっと押し寄せた可能性も高いのです。

朝鮮人だった慰安婦は12月25日の休日が大正天皇崩御だった日というよりも、クリスマス休日と認識し証言したのも容易に理解できます。

フィリピン戦線では敵と合意のクリスマス休戦が1日だけあったという証言が残っています。

いずれにせよ、 「当時日本ではクリスマスを祝う習慣がなかった」というのはウソです

※12/25修正
 






元慰安婦が「ジープ」に乗ったと証言している。当時日本にはジープはない!

慰安婦が連れて行かれた当時になされた証言ではありません。
戦後随分たってからの証言ということを考慮しなければなりません。
鄭陳桃さん(台湾人元慰安婦)2013年
http://japan.cna.com.tw/news/asoc/201307070001.aspx

当時朝鮮・台湾でも頻繁に車を見る機会なんて都市中心部だけでしょう。また国産車も少なくアメリカの輸入車が多かった。

戦後アメリカ軍は大量のジープGeepを進駐先に投入しました。日本だけでなく韓国・台湾にもです。
今まで軍用車両を見る機会がなかった人々は小型軍用車両を全てジープと呼称しても当然といえば当然。ましてや車種に疎い高齢女性なら尚更です。

もう亡くなりましたが私の親戚の婆さんなんて自衛隊のトラックでさえジープと呼んでいました。

geep


当時日本の小型軍用車は「くろがね四起」と呼ばれた「95式小型乗用車」ですが、ほとんどが戦地に送られたので民間人が見る機会は当然少なく、ましてや正式名称なんて軍の関係者以外知らなかった筈です。

製品名称が一般名称になった例は多々あります。「ホチキス」なんて代表例でしょう。
現在のダイハツやマツダが製造してもオート三輪を総称して「くろがね」と言われたこともありました。
高齢者が軍用車両を何気なく「ジープ」と呼んでも、不自然ではありません。



そして極め付きは

「ヘリコプター基地に連れて行かれた」さらには「ヘリコプターに乗った」という証言です。

これは「クリスマス」と「ジープ」を絡めて朝鮮人元慰安婦を朝鮮戦争時の「洋公主(ヤンコンジュ)」にすり替えようと企てたデマであるのは明らかでしょう。

ネトウヨがたむろするヤフー知恵袋で「ヘリコプターに乗った慰安婦」は誰か?
といった質問を何回もしていますが誰一人答えていません。

いや答えられないのです。

http://daisukinipponfrance.over-blog.com/2014/01/%E6%B1%82%E3%82%80...
証言した慰安婦名、場所・日時、聞き取りし発表した人物ないしメディア名とその記録、または証言テープ類の存在が明らかにされていません。

証言としての確かな記録さえないのに、日ごろ「証言」は証拠にならないと言うウヨが、ヤンコンジュだった「証拠」という身勝手な自己矛盾を起こしていますね。

但し東チモール(当時ポルトガル領)での日本軍慰安婦としての被害者
リム・ファ・ニエさんは「アイリウは軍事拠点でアイリウの兵営にはヘリコプター、タンクその他様々な兵器・機器が置かれており・・・」と証言しています(2001年3月27日談)
http://www.asahi-net.or.jp/~ak4a-mtn/news/quarterly/number3/sexslavery3.html


そして以上3点セットが捏造根拠に危ういとなると、

年齢詐称と、慰安婦でなく従軍看護婦だったという別の捏造説が出てきます。

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1947年9月に作成された「第16軍司令部同直轄部隊朝鮮人留守名簿第4課南方班」の名簿に元慰安婦の金福童さんの証言どおり記載されていたとする(朝鮮日報 2005/01/11)資料

に関して14歳で慰安婦とされ8年間慰安婦だったら22歳のはずだが名簿の年齢が違うという疑義。

年齢の違いは戦前の日本・朝鮮はいわゆる「数え年」だったのに、軍の記録は「満年齢」記載ということを理解すれば簡単に説明できる。
「数え年」を知らない世代は簡単に右翼の歪曲に騙されているようだ。

また金福童さんが何故看護婦として記録されたのかは、河野談話以降に林博史教授(現代史)が英国立公文書館で発見した日本軍の命令暗号電文を解読したイギリス軍の文書でその理由がわかります。

 
http://www.geocities.jp/hhhirofumi/books32.htm

8月20日、第八通信隊から民政部の全責任者あて
 一、全地区の日本女性を地方病院(第一〇二病院または民政部病院)に看護婦の資格で割り当てよ。(この電文は完全に理解後、焼却せよ)

「全地区の日本女性」とは全地区とは日本軍作戦下の地区のことであり、日本女性とは日本人女性と言っていないので、朝鮮人・台湾人も含まれます。また作戦地域には一般女性がいる訳でもなく、ほとんどが慰安婦と見て間違いないでしょう。 

これは連合軍から慰安婦を隠蔽するための命令だと考えられます。 


またその命令電文はとりもなおさず、慰安婦が軍による所有物とされていた証でもあり、奴隷状態(自己決定権の喪失)であった証拠にもなる資料です。

さらにもうひとつの洋公主ネタとして憲兵の腕章があります。
写真は当時の日本国内の憲兵の腕章です。

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憲兵腕章にも幾つもバリエーションが存在し、当時中国に列強の租界が存在したので憲兵と同意語の『MP』(ミリタリーポリス)の文字が合わせて印字された物、インドシナなど旧仏植民地圏、仏語圏にはフランス語が合わせて印字された物、また印字ではなく手書きで施された物など様々な腕章が存在します。


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陳慶彭さんの証言 ”
ソウル新聞”2012-08-29
http://www.seoul.co.kr/news/newsView.php?id=20120830500007&spage=1

原文
작은 군용차를 타고 빨간 완장을 찬 일본 헌병 4명이 나타났다. 
「小さい軍用車に乗って赤い腕章をはめた日本憲兵4人が現れた」(1939年当時15歳)
(翻訳はgoogleの機械翻訳です。빨간 완장=赤い腕章 )

盧清子さんの証言 ”破られた沈黙 アジアの「従軍慰安婦」たち”(P32~36)1993.7
「赤い文字で憲兵と書かれた腕章をしていました」

朴玉善さんの証言 ”証言 未来への記憶 アジア「慰安婦」証言集Ⅰ”(P.143~144)2006.6
「二人とも腕に腕章をはめた日本人の男でした」

さすがに何十年も前の記憶ですから、証言のあやふやなところもありますが、共通しているのは腕章をはめていることです。

ところが慰安婦否定派は 「赤い腕章をはめた日本憲兵」という陳慶彭さんの証言を朝鮮戦争時の事であると主張しています。
しかもわざわざ「真っ赤な腕章」と意訳までしています。

証言内容にあやふやな部分があるのは何十年も前の話ですから当然ですが、いくらなんでも15歳の頃の記憶と1950年朝鮮戦争時の26歳の記憶とを間違うとは考えられません。


正確に当時の腕章を表現するなら「白地に赤で憲兵と書かれた腕章」ですが、赤い文字の印象が強ければ「赤の腕章」と言ってもさほど不自然とは思えません。



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不自然といえば慰安婦否定派のブログに掲載されている上記写真の「韓国軍MPの腕章」の方です。

限りなくウソくさい。
まず1950年当時の韓国で刺繍が施された腕章なんてちょっと考えられません。
将軍の腕章ならわからなくもないのですが、、、
またいくら探しても韓国のWEBページでは当該写真は全く見当たりません。
しかも大きくMPとワッペンが貼ってある。これも不自然です。

20100311192649

朝鮮戦争当時の写真ですが、
http://bemil.chosun.com/nbrd/bbs/view.html?b_bbs_id=10044&num=132655
MPの標記はなく헌병と書かれてあります。


結論を言えば慰安婦否定派ブログの物は後にマニアがコスプレ用に作ったか、映画の衣装小物として製作されたもの、或いは悪質なでっちあげ用に作った物と断定しても間違いないでしょう。

青山繁晴氏の海外メディアの非難はペテンである

 青山氏は、日本側が軍の関与を認めたことに対して、米国のABCをはじめとする各国のメディアが「日本政府は、日本軍が韓国の少女20万人をsex slaves(性奴隷)としたことを認め、10億円という大金を補償した」と報じたことにまず触れた。

http://news.livedoor.com/article/detail/11051299/
という記事について取り上げようと思います。

しかし記事は彼の発言を正確に書きお越しはしてはいないが、一般視聴者の多くがその記事どおりの理解するでしょう。



まあ慰安婦に関しても常々デタラメのオンパレードの青山氏であるが、今回のTV番組で

慰安婦のほとんどは日本女性と断定し、
「韓国は慰安婦20万人と主張している。それには挺身隊の女工も含まれるが、各国のメディアは韓国の主張そのままに報道している」 
とあたかも「韓国の少女20万人 」と主張しているかのような誘導言説で声を荒げた挙句、東国原氏と言い合いになっている。


言い合いの内容はどうでもいいので

青山氏の発言だけを検証します。

まず慰安婦のほとんどが日本人と断定する根拠は全くなく、というよりその「根拠らしい」ことすら説明していない。
あくまでも妄想に過ぎないということです。

日本の歴史家を含む多くの研究者は慰安婦となった日本人は多いが、中国・韓国・台湾人も多く、日本人は慰安婦の総数の50%を超えてはいないとする説が有力です。
それは公文書として記録された慰安婦の性病検査の報告書※1、渡航記録、慰安所での割合と兵士や慰安婦の証言から推測したものです。
中国大陸は「渡航証」(パスポート)が必要なかったのですが、南方(東南アジアの占領地)では渡航証が必要であり日本人は少なかったと思われます。

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ビルマ マンダレーの慰安所では日本人8、中国人11、朝鮮人17、ビルマ人19(ビルマ兵補向除く)となっています。日本人は将校専用のようです。

ATIS米軍調査報告書120号では日本人90人、朝鮮人703人の慰安婦が1942年8月20日に集団でラングーンに到着したとの証言が記載されています。
またATISのその他の捕虜尋問調書にはフィリピン、ラバウルの慰安所には中国人、朝鮮人、日本人の慰安婦がいた証言が記録されていて、日本人のいない慰安所もあったとの証言もあります。フィリピンでは現地人経営のフィリピン人慰安婦だけの準慰安所もあったようです。




それでは20万人の中には挺身隊が含まれているとする青山氏の発言ですが、

朝鮮人以外に中国人、台湾人、フィリピン人、インドネシア人が含まれるとするのが、海外メディアの説明です。
靑山氏は各メディアが報じた各国の慰安婦について言及を全くしていません。


12月28日に報じた各メディアの慰安婦の人数については


アメリカのABCは慰安婦の人数については説明していませんが

ガーディアン紙は

There is disagreement on the exact number of women forced into prostitution by Japan during its 1910-1945 colonial rule of the Korean peninsula. Campaigners say as many as 200,000 women – mostly Koreans, but also Chinese, south-east Asians and a small number of Japanese and Europeans – were forced or tricked into working in military brothels between 1932 and Japan’s defeat in 1945.

と多くが朝鮮人だが他にも中国人、東南アジア人、少ない日本人とヨーロッパ人(オランダ人やオーストラリア人と思われる)としています。

この記事を「なでしこアクション」は
「日本政府は、女性の性奴隷化に軍が関与していたことを認めた。日本統治下の朝鮮半島で強制的に売春をさせられた女性の数には論争があるが、活動家らは20万人と主張している。」
と歪曲しています。(なでしこのHPではリンクを貼らず)



ワシントンポストも
ガーディアン紙とほとんど同様

Independent historians have concluded that as many as 200,000 women and girls — from occupied countries including Korea, China, the Philippines and other Southeast Asian nations — were coerced by the Japanese Imperial Army to work as sex slaves during the war.

https://www.washingtonpost.com/world/south-korea-japan-reach-settlement-on-wartime-korean-sex-slaves/2015/12/28/e0578237-0a00-4f10-8491-1d85e72890b3_story.html
ただしwomen and girls として少女も併記しています。

英国BBCも20万人の説明は同様です

It is estimated that up to 200,000 women were forced to be sex slaves for Japanese soldiers during WW2, many of them Korean. Other women came from China, the Philippines, Indonesia and Taiwan.

http://www.bbc.com/news/world-asia-35188135


CNNもほぼ同様

It's estimated that up to 200,000 women were forced to be sex slaves for Japanese soldiers in World War II, mainly Korean. Other women came from China, Taiwan and Indonesia.


http://edition.cnn.com/2015/12/28/asia/south-korea-japan-comfort-women/


20万人については
 as many as  =まで
をつけて説明しているのが 
ガーディアンとワシントンポスト、
up to =以下
としているのがBBCとCNN


ちなみに
米国グレンデール市の慰安婦像のPeace Monumentには

「In memory of more than 200,000 Asian and Dutch women who were removed from their homes in Korea, China, Taiwan, Japan, the Philippines, Thailand, Vietnam, Malaysia, East Timor and Indonesia, to be coerced into sexual slavery by the Imperial Armed Forces of Japan between 1932 and 1945.」

more than =以上

そもそも番組の趣旨は慰安婦問題での日韓合意についての評価なのですが、日韓両政府は合意内容に慰安婦人数を取り上げていません。

論点ずらしも右翼の常套手段ですが、TVでの発言ならもう少し節度を持つべきです。
 



「韓国は慰安婦20万人と主張している。
それには挺身隊の女工も含まれるが、、、」
と勝手に
挺身隊の女工を含めています。

慰安婦研究が進んだ1990年代以降、韓国やその他の研究者はそういう混同をして慰安婦数を推計していません。

IWGが2006年に発行した「
Researching Japanese War Crimes: Introductory Essays」にも
犠牲者数は20万人説が一般的ですが、確定していないとし、
高崎宗司氏(原文表記Takasaki Shōji)の指摘では、「多くの韓国の活動家は女子挺身隊と慰安婦を混同して慰安婦数の膨張をもたらした」との記述もあります。

そのうえで2007年、慰安婦数最大20万人最小5万人と米国議会の対日非難決議前に報告書が提出されました。 



韓国の慰安婦数についての見解 韓国女性家族部
http://www.hermuseum.go.kr/japan/sub.asp?pid=137


「慰安婦に動員された女性の総数については、未だ正確な情報は分からない。」

「一部の学者たちは、日本軍の「兵士何人あたりに慰安婦を何人おくか」という計画が示された資料や、複数の証言資料に基づき元日本軍慰安婦被害者の総数を推測している。しかし、最低3万人説から最大40万人説と、研究者によってバラツキが大きい。」
「慰安婦問題を長期間に渡って研究してきた研究者・吉見義明氏によると、日本軍慰安婦の数は少なくとも8万人から20万人と推定され、その中に占める朝鮮人女性の割合は半分を超えるという調査結果を発表した。」

公式に20万人と韓国政府は主張していませんね。青山氏は「韓国が」と言うだけで「韓国政府が」と明言していません。あとで姑息な言い逃れをするためでしょう。



青山氏らは挺身隊といえば法令に基づき動員され、工場で働く「女子勤労挺身隊」に決まってると都合よく思い込んでいるだけで、

貿易新日本の挺身隊(1933大阪毎日新聞)

われらは銃後の挺身隊(1938内閣情報部編輯 週報 第110号)
南方建設の挺身隊(1942大阪毎日新聞)
と多くの挺身隊の呼称がありました。


他にも民間の用例が当時の新聞記事で多数確認できます。

また「内閣情報局編輯 写真週報 第206号」の用例で、開戦直後の1942年2月の段階で既に「女子挺身隊」「陸軍女子挺身隊」と書かれています。
「女子勤労挺身隊」は1943年から1944年であって、それよりも前に既に「女子挺身隊」は用いられていました。

更には敗戦直後「特別挺身隊」として占領軍慰安婦に強制動員された
女子青年団埼玉第一中隊の103人女性達も記録されています。
占領軍慰安婦 国策売春の女たちの悲劇」山田盟子(光人社)


アジア戦域の米軍新聞「ラウンドアップ」1944年11月30日付(JAP COMFORT GIRLS)
http://www.awf.or.jp/pdf/0062_p061_088.pdf(p63~)ウォルター・ランドルという記者が捕虜になった慰安婦の聞き取りをして記事にしています。場所はビルマと雲南の国境地帯。

その一節
「1942年の4月初め、日本の官憲が朝鮮の平壌近くの村に来た。彼らは、ポスターを貼ったり大会を開くなどして、シンガポールの後方基地勤務で基地内の世話をしたり病院の手伝いをする挺身隊(原文では、"WAC"organizations )の募集を始めた。4人はどうしてもお金が必要だったのでそれに応じたという。中略・・しかし、船が約束のシンガポールに立ち寄っただけで、そのまま通過してしまってからは心配な気持ちが広がり始めた。
ビルマのラングーンから北へと向かう列車に積み込まれたときには、もはや逃れられないと運命を悟ったという。」

WACの直訳は陸軍婦人部隊
当時日本軍には女性がいなかったのは米国でも周知の事実だったので、軍に所属する「女子挺身隊」を英訳するのにWACを充てたのでしょう。

英語翻訳ですから慰安婦が実際に「女子挺身隊」と言ったかは確認できませんが、類似の表現には違いないでしょう。また「慰安婦」と言って募集したのではないのは間違いないでしょう。 
他にも挺身隊或いは報国隊、婦人部隊、奉仕隊という名目で慰安婦が集められたのは多くの証言などでも明らかです。




青山氏が言う日本内地へ動員された朝鮮人女子勤労挺身隊の総数については

 歴史学者の高崎宗司氏は多く見積もっても4000名、秦郁彦氏は約1万名と推計しています。

青山氏は慰安婦19万人なら異論ないのでしょうね。笑;


杉山審議官は女子差別撤廃委員会で

Women who had been requisitioned as labor force on the Korean Peninsula and Taiwan, sometimes on a voluntary basis, had been confused with cases of comfort women,
自主的に、朝鮮半島や台湾での労働力として接収されていた女性は、慰安婦の例と混同されていた。」
と主張しています。

「挺身隊」との説明で仕事内容も看護婦の助手などといった虚偽の勧誘を信じて慰安婦にされた女性のことは含まれていないようです。
騙された場合は自主的とは言いません。


※1
「大本営陸軍部研究班「支那事変に於ける軍紀風紀の見地より観察せる性病に就て」
 
1940年までに性病にかかった中国出征陸軍軍人14,755人であるとし、性病感染時の「相手女」として次のような数字をあげています。すなわち、「朝鮮人」4,403人(51.8%)、「中国人」3,050人(36.0%)、「日本人」2,418人(12.2%)です。




 

慰安婦は高給取りだったのか 4

慰安婦はネトウヨ連中がいうような高給取りではなかったと以前エントリしましたが、今回は慰安所の営業実態がわかる日本陸軍の報告書を紹介します。


「軍慰安所に関する件報告(通牒)」
国立公文書館 アジア歴史資料センター 所蔵

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昭和15年7月に書かれた報告書です。
南寧及欽州方面に於ける6月末現在軍慰安所状況は左表の如くにして・・・
と始まっています。

報告書には43件の軍慰安所と361名の慰安婦についての売り上げ詳細が一覧表として記されていますが、報告書には慰安婦一人当たりの一日平均売上高18円79銭と記載されています。 
月額売り上げは450円程度です。

慰安所総売上148,585.8円、それを実働慰安婦329人(報告書の最後に健康慰安婦329人となっています。他は性病だったと考えられます)で割ると慰安婦一人あたりの売り上げがわかります。


慰安婦の取り分は50%、そこから諸経費が天引きされますので借金返済を考慮せずとも手取りはその半分くらいの額にしかなりません。150円も貰えれば御の字で借金返済やら各種ピンはねを考えると、決して高給ではなかったと言えるでしょう。

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これは軍の正式文書ですので、これほど確かな証拠になるものはありません。


兵の給料の100倍、秦郁彦氏の二千円説、当時立派な家が建った(建てた)、陸軍大臣並みの高給を貰っていたなどのヨタ話にはこのような確たる裏づけになるエビデンスはありません。
高給説を唱える彼らは、以前にも書いたように広告倫理規定もない時代の新聞広告のたぐいや信憑性に乏しい伝聞証言だけです。



また同報告書には

飲酒酩酊のうえ慰安所並びに附近に於いて拳銃を発砲し或いは抜刀 従業婦に傷害を與えたるもの
将校2
飲酒酩酊の上慰安所内に於いて暴行せる者
下士官2 兵3
軍慰安所管理人1は従業婦を虐待せるを以って厳重将来を戒飾す。
との報告も記載されています。

ひと月の(問題にしなければならない位の)事件数ですから、(当時の感覚として目に余るほどではないが)慰安婦に対する暴力は日常茶飯事であったと推認されます。

慰安婦の証言を裏付けるものです。※

「当時下級兵士も毎日のように殴られていたので、当たり前だ」というのは、軍国主義を肯定する人だけの理屈でしょう。
男が婦女子に暴力を振るうのは当時の価値観でも許されてはいません。
ましてや武士道なんかを持ち出す輩はどう考えるのだろうか?



在日の元「慰安婦」として裁判を起こした宋神道さんは、中国の武昌での体験としてだが、「二階の小部屋で何人相手をしても、階下から帯剣が擦れ合う音がひっきりなしに聞こえてきた」「体調が悪く、軍人の要求に応じられないような時・・遮二無二体を強ばらせ、身を縮めていた。そのような時、相手がいつ剣を抜きはしないかと、おびえていた。実際、軍人は些細なことですぐ剣を抜いた」と語っている。 また韓国在住の文必基さんは、「慰安婦生活の間には何度か死ぬ目にもあいました。自分の要求をそのまま受け入れないといって、酒を飲んできて刀を抜き暴れ出した軍人もいました。酒に酔って刀をタタミに刺し立てて性行為をする軍人がたくさんいたので、タタミには刀の跡がたくさんありました。それは思い通りにさせろという脅迫でした。そして、思い通りにいかないと、刀を抜いて躍りかかろうとするのです」と証言している。
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