Takashi “Thomas” Shinozuka said in an interview at the consulate of Japan in Phipps Tower said there is “no evidence” that the military sexually enslaved women, most from Korea, during WWII. He said rather that the women were paid prostitutes.


「日本軍が第2次世界大戦期間にほぼ韓国からきた女性を性奴隷としていたという証拠はない」「その女性たちは報酬をもらっていた売春婦だった」


「In Asian culture, he said, sometimes women become prostitutes to help their families financially.」

また彼はインタビューで「女性が家族のために売春するのはアジアの文化」だったとも語っています。

http://www.reporternewspapers.net/2017/06/27/japan-consul-generals-comfort-women-comments-trigger-international-criticism/ 


https://soundcloud.com/dyana-bagby/japaneseconsulgeneral

インタビューの音声ファイル




「慰安婦は売春婦だ」という主張に関しては
過去エントリで反証していますので、今回は「家族のために売春するのはアジアの文化だった」を検証します。


慰安婦と同様海外で売春(当時のコトバで醜業)に従事した娘子軍いわゆる「からゆきさん」に関して国立国会図書館に多数の文献が残されています。
その一部を紹介します。


沢田順次郎「姦淫及び売笑婦」昭和10年3月17日発行


これは大正三年の調査で、少し古いが、此の総数は22,362人で、此の内支那は、過半を占めて居る。支那で最も多いところは、関東州の8,388人次は牛荘の1,924人、奉天の790人、安東の771人、上海の747人、哈爾濱の656人、長春の573人、斉々哈爾の451人漢口の384人、遼陽の300人、鉄嶺の289人、天津の251人、芝罘の221人、間島付近の198人、其の他100人以下の各地方を合せて、16,423人の大数に上って居る。。尚、此の統計以外に、密売淫に従事する者の約三割はある見込みといふから、日本の海外売笑婦は三万は下らないと思ふ

・・・斯くの如く、海外に於ける日本の売笑婦は、世界第一と言はれて居る。故に日本の売笑婦に対しては、欧米人も一歩を譲り、何れの地に於いても、日本の売笑婦を向ふに廻して、競争する者はない

 
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1442404/109


上記の元ネタと思われる
山室軍平「社会廓清論」大正3年10月19日発行

社会廓淸論T3



私共は此際有らゆる手段方法を用ゐ、官民共に協力して、在外の我が日本醜業婦を救護し、如何にもして我が日本を、
世界第一の醜業婦輸出国たる汚名と事実とより脱れ出でしめねばならぬ。(p410・411)

社会廓淸論2


http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1748928/189 

大正時代においても公娼ですら「現存の奴隷制度」と認識されていたことがわかる娼妓の研究書です。




元田作之進「善悪長短日本人心の解剖」大正5年7月10日発行


吉原と芸者の名は世界に知れ渡って居る。西洋人から日本は醜業婦の輸出地であるの、美しい芸者の国であるの、妾を持ってもよろしい国であるのと思はれ或は言はれて居る、・・・

(p237・238)


http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/955181/128




満洲事情案内所編「まんしう事情」昭和11年5月25日発行

先駆者娘子軍
辺陬の地が拓かれるとき、同時に、いや時には前以て地を占領してゐるといふ素早いのは娘子軍だ。


http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1268420/74

僅かな例を提示したのみですが、戦前に醜業目的で海外渡航させられた日本人婦女子は主にアジア全域、チベットやシベリアなどの辺境地や南米や遠くはアフリカまで渡った例が記録されています。

KARAYUKI
インドネシアとマレーシアのからゆきさんの墓 多くは20歳前後で亡くなったと言われています





「アジアの文化」というよりも「日本の文化」と言うべきです。

戦前の朝鮮における公娼の50%は日本人だったという記録があります。(内地では日本人以外は公娼として認められませんでした)

そして日本は当時世界一の売春婦輸出国だった訳です。


しかし 国際的に人身売買に対する批判が高まり、1920年には大英帝国はシンガポール・マレー全域の全ての外国人娼婦を送還させています。日本国内でも彼女らの存在は「国家の恥」として非難されるようになりやがて多くの海外娼館は閉鎖されます。
また国内でも廃娼運動がさかんになり、戦前でも多くの県が公娼制度を廃止(13県)または県議会で廃娼決議(14県)がなされています。
勿論公娼と認められた人以外の売春は当時でも密淫売として違法でした。

恥ずべき(違法な)歴史を「文化」だと言ってうそぶく総領事に日本の外交に関与する資格なんてあるのでしょうか?

「不倫は文化」だと言った某芸能人と比べる由もないでしょう。



当時身売りは当たり前だったと肯定する人がいるとは思いますがコメされる前に、

慰安婦に関して事象としての身売り例は多くあったが、
「家族が生きるために仕方なかった」と違法性が阻却されると考え、当時でも違法な事象を肯定するよりも、むしろその要因となった最低限の「生きるため」の施策を講じなかった時の政府の無策について非難すべきではないのか?
との問いに答えてからコメをください。

敢えて付すなら慰安婦が必要とされた時期には貧しくとも飢饉もなく餓死者は終戦直後の昭和20年までは顕著ではありませんでした。不足分は朝鮮半島や台湾から戦時立法により内地に米が送られていました。
昭和東北大凶作は慰安婦が必要とされた10年ほど前の昭和5~9年のことです。

但し朝鮮半島では不作にもかかわらず日本への米の供出(強制徴収)が行われたため、餓死者は多かったようですが、朝鮮総督府の数字の信憑性には疑義がありますので敢えて餓死者人数は提示しません。
娘を身売りせざるを得なかった根本原因は朝鮮・台湾から米を供出させ農民に米が行き渡らなかったことにもよります。
そのおかげで農業生産が低下したにもかかわらず、内地では餓死者が終戦まで顕著でなかった訳です。