昨年もテキサス親父はさも自分の手柄のように「米国公文書」を発見したかのようなペテンをYoutubeにUPしています。
 https://www.youtube.com/watch?v=pRTc1YJKt0E
しかもキャプションは「慰安婦尋問調書No.78」

texas_bakaq1



彼が手に持っているのは「Composite report on three Korean navy civilians, List no.78」というのが正式タイトルの報告書です。慰安婦の尋問調書とは全く違います。


special


実際には当時ハワイに2,600人の朝鮮人軍人軍属の捕虜が収容されており、そこからさらに100人をカリフォルニアに移して戦略的(朝鮮半島占領)に重要な尋問をし、そのうちの3人の朝鮮人男性の尋問を報告書として記録したものです。
しかしその報告書のどこにも「高給取り」なんて書かれてありません。





78

本来の米軍調書No.78(1943/5/15) 

には日本人捕虜の供述として
「ラバウルには20歳から25歳の日本人女性がいる海軍慰安所があり、これらの女性は皆、日本から来た商売女であったと聞いている」との伝聞証言が記述されています。
勿論ラバウルには陸軍の慰安所もあり、慰安所の全容を述べてはいませんが。 



テキサス親父が紹介した文書はとっくの昔1990年代に浅野豊美教授が発見していますし、秦郁彦「慰安婦と戦場の性」1999年380~381Pで紹介されています。

 https://www.facebook.com/toyasano/posts/1088796284512112

調書の内容のほとんどは朝鮮人の不当待遇についての記述ですが、慰安婦関連の証言
18. All Korean prostitutes that PoW have seen in the Pacific were volunteers or had been sold by their parents into prostitution.

については(米軍に選ばれた)当時独立志向の高かった朝鮮人男性の特殊な見方とも理解できます。



日本人慰安婦を本当に証言にあるようなvolunteersと見ていた日本人将兵は誰もいませんでした。止むに止まれぬ事情が背景にあるのは十分承知していたのです。
むしろ国防婦人会の名目で日本から渡ってきた婦人達が慰安婦にされたとの元兵士の証言があります。
volunteersのつもりが騙されて慰安婦にされたということです。

榎本正代伍長(済南駐屯の第五十九師団)の証言―

 1941年のある日、国防婦人会による<大陸慰問団>という日本女性二百人がやってきた……(慰問品を届け)カッポウ着姿も軽やかに、部隊の炊事手伝いなどをして帰るのだといわれたが……皇軍相手の売春婦にさせられた。“目的はちがったけど、こんなに遠くに来てしまったからには仕方ないわ”が彼女らのよくこぼすグチであった。将校クラブにも、九州の女学校を出たばかりで、事務員の募集に応じたら慰安婦にさせられたと泣く女性がいた。
秦郁彦「慰安婦と戦場の性」より




しかし韓国メディアでは慰安婦記述はほとんど報道していないようです。
勿論報告書にある30項目のうち慰安婦関連は1項目の数行だけなので、当時の朝鮮人の過酷な待遇や独立志向について重点的に報道するのは当然かも知れませんが。

※volunteersは「自ら志願した」という解釈が現在の価値観では一般的ですが、当時の朝鮮人にすれば強制に近い「挺身」や「供出」も、建前上「自ら志願した」という意味で用いられていたことも考慮すべきで、(女子)挺身隊、あるいは「処女(未婚女性)供出」も単純に英訳すればvolunteersとしても違和感はないでしょう。

右派は挺身隊は日本国内への勤労女子挺身隊だと矮小化していますが、既に挺身隊という語句は太平洋戦争開戦前後から広く使用されています。
「内閣情報局編輯 写真週報 第206号」の用例で、開戦直後の1942年2月の段階で既に「女子挺身隊」「陸軍女子挺身隊」と書かれています。


敗戦後占領軍上陸前にすぐに「特別挺身隊」として警察が進駐軍対策に「慰安婦」を集めた記録もあります。