慰安婦虐殺については日本軍将兵や元慰安婦の証言が数多く記録されていますが、その多くは伝聞証言であったりします。
しかし最近アメリカで虐殺を記録した文書が発見されたと韓国メディアが報じました。


中国・雲南遠征軍の1944年9月15日付作戦日誌


ianfujusatu


「(1944年9月)13日夜(脱出に先立ち)日本軍が省(中国、雲南省腾冲)内にいる朝鮮人女性30人を銃殺した。(Night of the 13th the Japs shot 30 Korean girls in the city).」

雲南遠征軍は同じ年の6月から中国-ミャンマー国境地帯である中国・雲南省松山と腾冲の日本軍占領地に対する攻撃を開始して9月7日に松山を、1週間後の14日に腾冲を陥落させた。日本軍の慰安婦銃殺は腾冲陥落直前の13日夜、脱出に先立ち実行された。

ソウル大学人権センター研究チームはアメリカ国立文書記録管理庁の現地調査を実施、11月4日に韓国で公開されました。


という韓国メディアの記事については、マイケル・ヨンが新資料のごとくIWGの報告書をもとにアメリカでは「慰安婦についての公文書が一切なかった」 という歪曲主張を産経新聞が記事にしたり、テキサス親父があたかも発見したようなミッチナ捕虜尋問調書49号を得意げに持ち出すYouTubeの動画と同じく、過去(1997年)に見出されていたものです。ただ所蔵先が長年不明であったという点では写真公開は初めてかも知れない。

ただ歴史的資料としては信憑性に疑義があります。 

 



下の写真は
「雲南・ビルマ最前線における慰安婦達−死者は語る」 
浅野豊美 早稲田大学政治経済学部教授が発表した論文に掲載された写真です。
 


虐殺

米軍の写真部隊が1944年9月15日撮影

「埋葬を行おうとする中国兵が、騰越で殺された女性を前に不審に思ってたたずんでいる所」
「大部分の女性は日本軍基地にいた朝鮮の女性達である」
とキャプションが付されてあります。


発見されたという作戦日誌は写真のキャプションを補完する文書には違いありません。

ただ米軍が虐殺を目撃したとは考えられないので、その死体状況や目撃者(?)からの聴取で結論づけたものと思われます。(日本軍の玉砕戦ではあったが、数十名は捕虜となった)
(中国側資料では遠征軍生俘日方軍官4員,士兵20餘名,印緬籍軍伕30餘名, 慰安婦 18名)

しかし浅野教授は中国軍側資料と照らし合わせて日本軍による銃殺とは断定していません。


texas_bakaA


ともあれ日本軍が自ら慰安婦を虐殺していないと仮定しても、激戦が予想される戦場にまで慰安婦を伴ったことには違いありません。事実多くの慰安婦が死亡したのです。
「強制連行」どころの話ではありません。

しかし従軍看護婦はどうだったかというと、ミッチナからは戦闘が始まる 3 ヵ月ぐらい前に南のバモーとかに脱出させるということが行われています。



写真を公開した浅野豊美氏に関しては悪質ネトウヨのウソと妄言がネットにUPされています。
 http://www.nicovideo.jp/watch/sm18429938

ニコニコ動画で浅野氏を名指しで非難しています。しかもウヨお得意のフレーズ「慰安婦捏造」とし、下の有名な慰安婦の写真に「戦況悪化で朝鮮人女衒に捨てられた慰安婦 」とウソのキャプションを挿入しています。
彼女らは虐殺があったとされる
腾冲の近くの「松山陣地」で捕虜となった慰安婦です。

ビルマ

しかも投稿者は動画で「ウソつき朝鮮人」と罵っていますが、 投稿者のウソは明白です。

米軍機関の聴取では、「(彼女らは)年上の日本人女性によって監督されることとなった。この日本人女性は35歳で、それまで職業として売春を行ってきた人物である。(※下写真)彼女も松山の包囲掃討作戦の最中に同じように捕虜となった。」と記録されています。

また同じビルマでも捕虜尋問調書49号にもあるように慰安所経営者は日本人夫婦です。
そして同調書には慰安婦は軍によって見捨てられたという記述もあります。

前エントリ 
http://senbonzakura.blog.jp/archives/66972235.html も参照してください。

                                                                                                                              







また「松山」で米軍に拘束された女衒のK氏の会話が米軍新聞「ラウンドアップ」1944年に記事掲載されています。


彼の慰安所にいた「慰安婦」達も各地を転々と移動したが、拉孟の部隊に行った頃から戦況は悪化の一途をたどり、とうとう中国軍に包囲され、身動きできなくなった。その頃K氏は軍御用商人の仕事に移り、彼の手から離れた「慰安婦」達は、実質的には部隊付きになっていた。「私の友人の下士官に女の行方を聞いたんですよ。そしたら、慰安婦を壕に入れろという命令が下り、その直後に手榴弾を投げ込んで殺したというんですわ」

浅野教授はこの会話について中国軍の9月6日の記録の中にある6名の女性の死体が、その事件の犠牲者かも知れないと推測しています。


いずれにしても慰安婦写真が撮られた「松山」や他の中国・ビルマ(ミャンマー)国境で捕虜になった朝鮮人経営者の名前は記録にはありません。

「朝鮮人女衒に捨てられた慰安婦」というのは根拠のない全くのデマです。

11/12エントリを加筆再UP