コメントされる方はまず他のコメントや私の返答、過去エントリを読んでから、コメントしてください。

尚、謝罪や賠償に関してはこのブログの趣旨と少し離れますし、嫌韓ネタを披露されても当ブログとは無関係ですから削除します。



今回は安直なウヨネタを持ち出す過去コメントを紹介します。

所謂ミッチナ捕虜尋問調書49号に関して

>麦焼酎

>テキサス親父の言うように、戦時中に日本叩きのプロパガンダに使えるネタをアメリカ側は使わなかったわけでしょ。そこを深く考えるべきでは?
>https://www.youtube.com/watch?v=ggQaYD37Jm4 

ウソです!

テキサス親父の動画のウソは過去エントリでも述べていますが 
 
http://senbonzakura.blog.jp/archives/38520388.html
「追軍慰安婦」の追軍って何だ?



実際は戦時中に日本叩きのプロパガンダに使えるネタをアメリカ側は使いました。



maruyama2175929

maruyama0707175928
ビルマのミッチナで米軍が撒いた伝単(プロパガンダのビラ)

抜粋
大切な部下の代わりに慰安婦逹も伴ったが、聯合軍偵察隊の遊撃が急となるや之等をも置きっ放しにして、中緬国境線に近きシマを迂回して雲南省まで逃れた。
中略
日本軍の勇士よ、諸君が丸山大佐を見たら、『ミチナに無縁の孤墳と化した戦友の英霊に対して何と申し訳をするのか?』
『ミチナの川向ふナンタローに取り残された病傷患者をどうした?』と聞け!


そしてビラには慰安婦逹は戦地で置き去りにされたと書かれてあります。

陸軍看護婦とか日赤の看護婦とかは、ミッチナからは戦闘が始まる 3 ヵ月ぐらい前に筏で流して、南のバモーとかに脱出させるということが行われていますが、慰安所は既に放棄されていたにもかかわらず慰安婦は最後まで生命の危険が及ぶ戦場を連れ回されたのです。

「強制連行」どころの話ではありません。


ただし捕虜となった慰安婦に関して直接のプロパガンダがなかったのは、同49号に、慰安婦が連合軍の捕虜になったことが戦地で知られると他の慰安婦が生命の危険に晒されるので、リーフレットは撒かないで欲しいとの要望があったことが記述されています

当然米軍が投下したビラは日本軍の士気喪失や投降を促す目的が主だったのは言うまでもありません。

下は一般的なプロパガンダです。

magazine_jap_beast_1942 Jap_Blood_Cult_pg00a








コメント主は当ブログやコメント欄の他コメも読まず反論している訳ですが、多くのバカウヨも同様です。