いつまでたってもネット上のウソは蔓延るものですね。

sakurai


元慰安婦の証言にある「クリスマスはいそがしかった」

実際の証言は黄錦周さんの
「三年目からは慰安所で下の兵卒の相手さ。あとは年々下がっていく。多い日で十五人ぐらい。クリスマスは二十人近かったね。カネは一度ももらってないさ。」という証言
「元従軍慰安婦 黄錦周の世界 2」朝日新聞(夕刊)、1995年7月25日

というのに対し



戦後まで日本ではクリスマスを祝う習慣がなかった。
という否定論

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戦前というより明治時代から「クリスマスケーキ」は売られていました。 「不二家」が明治43年に売り出しています。
また当時クリスマスツリーもありました。
明治時代には「クリスマス文化に重要な要素」は出揃っていたようです。

事実私の祖父は実家が森永系の喫茶店を営んでおり、「子供の頃からクリスマスケーキは毎年食べていた」 と言っていました。(空襲で店は焼けてなくなりました)


森永の創業者森永太一郎(安倍首相夫人の昭恵氏の曽祖父)はクリスチャンでした。

また祖父は「サンドイッチも弁当にしていた」 というのですが、昭和30年頃でも都会から離れた所ではマヨネーズは売っていなかったそうです。(キューピーマヨネーズ発売1925年)
要するに田舎の人間が当時を知らずに妄想だけで広げた話ですよ。

また伊藤博文を暗殺した安重根がクリスチャンだったことは有名ですが、当時の朝鮮でもキリスト教は広まっていたので、元慰安婦が12月25日がクリスマスだったという認識があっても何ら不思議じゃありません。

証言にはない 「クリスマス・パーティを楽しんだ」なんて書いて否定しているウヨブログもあります。 妄想もここまでくれば悪意を感じます。

休日ニ関スル件(昭和2年勅令第25号)で休日が定められるにいたって大正天皇祭(12月25日)が加えられました。
それで12月25日が休日となっていた昭和2年(1927)から昭和22年(1947)までの21年間で日本にクリスマスの習慣が広く普及・定着したとされているのです。

その背景は大正天皇は病弱であって、その時代の摂政であった昭和天皇の絶対権威を高めるためにも大正デモクラシーを彷彿させないように、あえて大正天皇祭をクリスマスとして祝うことを政府・軍部は否定しなかったのです。むしろ積極的だったとも考えられます。

当然軍隊でも休日だったと考えられ、息抜きをしたい兵がどっと押し寄せた可能性も高いのです。

朝鮮人だった慰安婦は12月25日の休日が大正天皇崩御だった日というよりも、クリスマス休日と認識し証言したのも容易に理解できます。

フィリピン戦線では敵と合意のクリスマス休戦が1日だけあったという証言が残っています。

いずれにせよ、 「当時日本ではクリスマスを祝う習慣がなかった」というのはウソです

※12/25修正
 






元慰安婦が「ジープ」に乗ったと証言している。当時日本にはジープはない!

慰安婦が連れて行かれた当時になされた証言ではありません。
戦後随分たってからの証言ということを考慮しなければなりません。
鄭陳桃さん(台湾人元慰安婦)2013年
http://japan.cna.com.tw/news/asoc/201307070001.aspx

当時朝鮮・台湾でも頻繁に車を見る機会なんて都市中心部だけでしょう。また国産車も少なくアメリカの輸入車が多かった。

戦後アメリカ軍は大量のジープGeepを進駐先に投入しました。日本だけでなく韓国・台湾にもです。
今まで軍用車両を見る機会がなかった人々は小型軍用車両を全てジープと呼称しても当然といえば当然。ましてや車種に疎い高齢女性なら尚更です。

もう亡くなりましたが私の親戚の婆さんなんて自衛隊のトラックでさえジープと呼んでいました。

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当時日本の小型軍用車は「くろがね四起」と呼ばれた「95式小型乗用車」ですが、ほとんどが戦地に送られたので民間人が見る機会は当然少なく、ましてや正式名称なんて軍の関係者以外知らなかった筈です。

製品名称が一般名称になった例は多々あります。「ホチキス」なんて代表例でしょう。
現在のダイハツやマツダが製造してもオート三輪を総称して「くろがね」と言われたこともありました。
高齢者が軍用車両を何気なく「ジープ」と呼んでも、不自然ではありません。



そして極め付きは

「ヘリコプター基地に連れて行かれた」さらには「ヘリコプターに乗った」という証言です。

これは「クリスマス」と「ジープ」を絡めて朝鮮人元慰安婦を朝鮮戦争時の「洋公主(ヤンコンジュ)」にすり替えようと企てたデマであるのは明らかでしょう。

ネトウヨがたむろするヤフー知恵袋で「ヘリコプターに乗った慰安婦」は誰か?
といった質問を何回もしていますが誰一人答えていません。

いや答えられないのです。

http://daisukinipponfrance.over-blog.com/2014/01/%E6%B1%82%E3%82%80...
証言した慰安婦名、場所・日時、聞き取りし発表した人物ないしメディア名とその記録、または証言テープ類の存在が明らかにされていません。

証言としての確かな記録さえないのに、日ごろ「証言」は証拠にならないと言うウヨが、ヤンコンジュだった「証拠」という身勝手な自己矛盾を起こしていますね。

但し東チモール(当時ポルトガル領)での日本軍慰安婦としての被害者
リム・ファ・ニエさんは「アイリウは軍事拠点でアイリウの兵営にはヘリコプター、タンクその他様々な兵器・機器が置かれており・・・」と証言しています(2001年3月27日談)
http://www.asahi-net.or.jp/~ak4a-mtn/news/quarterly/number3/sexslavery3.html


そして以上3点セットが捏造根拠に危ういとなると、

年齢詐称と、慰安婦でなく従軍看護婦だったという別の捏造説が出てきます。

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1947年9月に作成された「第16軍司令部同直轄部隊朝鮮人留守名簿第4課南方班」の名簿に元慰安婦の金福童さんの証言どおり記載されていたとする(朝鮮日報 2005/01/11)資料

に関して14歳で慰安婦とされ8年間慰安婦だったら22歳のはずだが名簿の年齢が違うという疑義。

年齢の違いは戦前の日本・朝鮮はいわゆる「数え年」だったのに、軍の記録は「満年齢」記載ということを理解すれば簡単に説明できる。
「数え年」を知らない世代は簡単に右翼の歪曲に騙されているようだ。

また金福童さんが何故看護婦として記録されたのかは、河野談話以降に林博史教授(現代史)が英国立公文書館で発見した日本軍の命令暗号電文を解読したイギリス軍の文書でその理由がわかります。

 
http://www.geocities.jp/hhhirofumi/books32.htm

8月20日、第八通信隊から民政部の全責任者あて
 一、全地区の日本女性を地方病院(第一〇二病院または民政部病院)に看護婦の資格で割り当てよ。(この電文は完全に理解後、焼却せよ)

「全地区の日本女性」とは全地区とは日本軍作戦下の地区のことであり、日本女性とは日本人女性と言っていないので、朝鮮人・台湾人も含まれます。また作戦地域には一般女性がいる訳でもなく、ほとんどが慰安婦と見て間違いないでしょう。 

これは連合軍から慰安婦を隠蔽するための命令だと考えられます。 


またその命令電文はとりもなおさず、慰安婦が軍による所有物とされていた証でもあり、奴隷状態(自己決定権の喪失)であった証拠にもなる資料です。

さらにもうひとつの洋公主ネタとして憲兵の腕章があります。
写真は当時の日本国内の憲兵の腕章です。

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憲兵腕章にも幾つもバリエーションが存在し、当時中国に列強の租界が存在したので憲兵と同意語の『MP』(ミリタリーポリス)の文字が合わせて印字された物、インドシナなど旧仏植民地圏、仏語圏にはフランス語が合わせて印字された物、また印字ではなく手書きで施された物など様々な腕章が存在します。


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陳慶彭さんの証言 ”
ソウル新聞”2012-08-29
http://www.seoul.co.kr/news/newsView.php?id=20120830500007&spage=1

原文
작은 군용차를 타고 빨간 완장을 찬 일본 헌병 4명이 나타났다. 
「小さい軍用車に乗って赤い腕章をはめた日本憲兵4人が現れた」(1939年当時15歳)
(翻訳はgoogleの機械翻訳です。빨간 완장=赤い腕章 )

盧清子さんの証言 ”破られた沈黙 アジアの「従軍慰安婦」たち”(P32~36)1993.7
「赤い文字で憲兵と書かれた腕章をしていました」

朴玉善さんの証言 ”証言 未来への記憶 アジア「慰安婦」証言集Ⅰ”(P.143~144)2006.6
「二人とも腕に腕章をはめた日本人の男でした」

さすがに何十年も前の記憶ですから、証言のあやふやなところもありますが、共通しているのは腕章をはめていることです。

ところが慰安婦否定派は 「赤い腕章をはめた日本憲兵」という陳慶彭さんの証言を朝鮮戦争時の事であると主張しています。
しかもわざわざ「真っ赤な腕章」と意訳までしています。

証言内容にあやふやな部分があるのは何十年も前の話ですから当然ですが、いくらなんでも15歳の頃の記憶と1950年朝鮮戦争時の26歳の記憶とを間違うとは考えられません。


正確に当時の腕章を表現するなら「白地に赤で憲兵と書かれた腕章」ですが、赤い文字の印象が強ければ「赤の腕章」と言ってもさほど不自然とは思えません。



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不自然といえば慰安婦否定派のブログに掲載されている上記写真の「韓国軍MPの腕章」の方です。

限りなくウソくさい。
まず1950年当時の韓国で刺繍が施された腕章なんてちょっと考えられません。
将軍の腕章ならわからなくもないのですが、、、
またいくら探しても韓国のWEBページでは当該写真は全く見当たりません。
しかも大きくMPとワッペンが貼ってある。これも不自然です。

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朝鮮戦争当時の写真ですが、
http://bemil.chosun.com/nbrd/bbs/view.html?b_bbs_id=10044&num=132655
MPの標記はなく헌병と書かれてあります。


結論を言えば慰安婦否定派ブログの物は後にマニアがコスプレ用に作ったか、映画の衣装小物として製作されたもの、或いは悪質なでっちあげ用に作った物と断定しても間違いないでしょう。