慰安婦総数は果たしてどれ位だったのだろうか?
「20万人はデタラメだ」というネトウヨはそれを自身で検証したのでしょうか?
私なりに考えてみました。

慰安婦制度が確立した1938年からの8年間を前提とします。
海外派遣兵を年平均200万人とします。(沖縄にも慰安所があったのですが今回は除外します)

内地の公娼の場合1~2年契約とされていたようですが、中国人・朝鮮人にはそれがきちんと守られていたか疑問ですし、交代補充が円滑に行われていたようにも思えないので長い年数を仮定しました。右派が主張するように「慰安婦は借金をすぐに完済できて、立派な家も建てた」というウソをそのまま信用すれば交代率は5以上になりますが、ここでは冷静に2.5年で廃業したとしておきましょう。 

ウソの例「日本人女性からも応募が殺到したのも事実である。慰安婦は当時の大卒者の10倍近い高給取りで、故郷に家が建った。」小林よしのり氏 

goman

この漫画にあるように確かに兵隊は1回ごとに料金を払っていましたが、「当時の月給の3分の1くらいの高額だ」は明らかに歪曲で、(漢口での全軍の兵士の金銭出納帖を調べたという)小野田元少尉は平均「月に月給の3分の1」を慰安所に支払っていたと証言しています。
また小野田氏は兵隊は料金は1円50銭だったとしています。

要するに兵隊は複数回利用し、その金額が3分の1ということです。

漫画では「高額だ」と言い、いかにも慰安所の料金が高いと思わせる歪曲です。


慰安婦の収入が一般兵士の100倍ということは、小野田元少尉によると兵の給料平均13円ということなので、1300円を得ていた事になります。


下記の公文書に記戴されている慰安所料金を元に計算してみましょう。

慰安婦が手元に1300円を得ようとすれば、最低その倍は売り上げねばなりません。
2600円÷1.5円≒1733、即ち月1700人以上の兵を相手にしたことになります。1日56人以上!多い日の人数ならいざ知らず、毎日ですよ!休憩すらおぼつきませんし、天引きされる経費を勘案すれば一月30日では到底足りません。
実際には家を建てた慰安婦なんていなかったでしょう。もしその証拠でもあるならどなたでも結構ですからご教示願いたいものです。


そして応募が殺到したというのですから、国内で慰安婦を一般募集したのですか?殺到した事実ってなにを根拠に言ってるのでしょう?

慰安所があるなんて当時一般国民には知らされていなかったはずです。もし当然のように公表していたら銃後のご夫人方が納得しないと言うことぐらい当然軍中枢もわかっていたのです。
いくら当時女性の地位が低かったとしても、戦地に赴く夫や息子や兄が慰安所通いをするのを当然だと考えていたのでしょうか?
当時の秋田県知事でさえ皇軍が慰安婦を必要としたことを知り、「俄かに信じがたい」と公電を発しています。

皇軍兵士は規律正しく正義に身を捧げる勇士だというのに、女通いができると発覚すれば、銃後の人心に示しがつきませんよ。



naichi
注 小林よしのり氏のマンガではありません



実際それを証明する公文書が残っています。
 
シナ3


通牒書 警保局長 「南支方面渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」 昭和13年11月8日 

「婦女を密かに募集すること」とあり、国内では慰安婦の募集は秘密裏に行うよう指示が出されています。

国内では慰安婦をおおっぴらに募集できなかったので、慰安婦の仕事内容を隠した就業詐欺の例も多くみられます。
虚偽説明の多くは兵士の世話であり看護婦の資格が取れるとかというだけでなく、事務員という全くウソの募集もありました。

東京市飯田町職業安定所では「女性事務員」、最高60円、最低40円の募集に1,200人が応募し、32名が採用されましたが、彼女らは事務員ではなく慰安婦にさせられた」
週刊大衆1970年8月20日号

虚偽の慰安婦募集には日本人女性も殺到したというのであって、小林よしのりは悪質な手口を伏せ、醜悪なデマにすり変えています。






また以前も書きましたが、「日本女性からも応募が殺到した」なら、何故朝鮮人慰安婦が必要だったのでしょう?
日本兵は朝鮮人が好みだったのですか?※1


まあ話しは少しそれましたが、本題に戻ることにしましょう。

兵が1年間で利用する回数は平均25回程度と推算します。
これは一般兵が慰安所に使える金額が兵の給料の3分の1、月3~4円 という小野田元少尉の証言から導き出した回数です。
月2回程度とかなり控えめな数字と考えますが、とりあえずこの数字で試算します。

200万人の海外派遣兵の延べ利用回数は1年で5000万回となり、慰安婦が年350日 働いたとすると以下の数字がでてきます。

年慰安婦数3万人 1日の対応人数      4.76人    慰安婦総数9.6万人
年慰安婦数2万人 1日          7.14人   慰安婦総数6.4万人
年慰安婦数1万人 1日           14.28人   慰安婦総数3.2万人


従事した年数を2年半としましたが、その間に死亡も含め病気などの理由で廃業した人(損耗率)も考慮すると、もっと交代率が上がるかと思います。 

陸軍の慰安婦300人以上を対象とした調査では平均稼業日数は月に27日とあるので、慰安婦総数は1.08倍増えます。

帰国後再度慰安婦 になった人はほぼいないと考えられるので交代率には考慮しません。
(2度もだまされて慰安婦をさせられたという文玉珠さんの場合は例外でしょう)

戦闘が激化するに従い、明日無き日々を送った兵は有り金全部つぎ込んだという話があります。
ごく普通に理解できます。昭和18年以降は慰安所の利用率も高かったでしょう。 

中国においては支那人は1円という慰安所規定も残っています。そうすると更に利用率が上がります。 
menjo022019

これは慰安所のいわば割引券です。証言によると1.5円の料金が1円に割り引かれたそうです。
褒美として貰えたのでしょう。




実際、慰安所は上海事変1932年以降設けられましたが、初期の頃は私娼窟を準慰安所として利用していたこともあり、軍関与の慰安婦との境目は判別つきにくいので、試算には8年間の前提をしたのですが、実際は慰安婦が存在したのは13年間です。
上記慰安婦総数の試算は支那派遣軍60~100万人の兵が慰安所を1938年以前の5年間利用したことを考慮していません。試算に1~2万人は加算しなければなりません。

慰安所を利用できた軍属も計算に含めなかったので、それを考慮すると試算した人数よりも多い人数にはなります。

慰安婦の移送の日数は考慮に入れてないので、それを勘案すると1日の対応人数は若干上がると考えられますが誤差のうちでしょう。



以上試算はかなり低く見積もってのものです。
個人的には7~10万人程度ではなかったかと考えます。

shina1
常州駐屯間内務規定 1938年3月

他地域でも兵1円の規定もあります。
dokuritu
慰安所に関スル規定 獨立守備歩兵第35大隊 1942年6月



iroiro2
慰安所規定送付ノ件 1942年11月 軍政監部ビサヤ支部イロイロ出張所







外国特派員協会記者会見 2015/3/17 での秦郁彦氏の主張は
「20万人の慰安婦が毎日20人から30人の兵士たちに性サービスをしたと書いてあるんですが、当時海外に展開した日本軍の兵力は約100万人です。教科書に従えば、接客は1日5回という統計になりますから、20万人が5回サービスすると100万になりますので、兵士たちは戦闘する暇がない。毎日慰安所に通わなければ計算が合わなくなるわけですね(会場から笑い)。そういう誇大な数字が教科書に出されているということです。 」

20万人が一度も欠勤せず8年間働き続けたというムチャな論法になっています。性病その他の病で廃業した人数も考慮せず、交代・補充を含む合計人数という前提がありません。およそ学者というには程遠い主張です。
また度々指摘していますが「・・日本軍の兵力は約100万人です。」とでたらめな人数を言うのもおかしいじゃありませんか?
そんなウソや歪曲した理屈をコネないと、20万人説を否定出来ないと言うことでしょうか?

でも右派のウソを真に受けて計算すると1日5人対応(秦郁彦説)立派な家を建てたほど高給だったので交代率5とすると総数21.3万人の慰安婦が必要となります。皮肉な数字になりますね。それも強姦を防ぐ人道的制度の効果は最低でも兵が月3回程度利用しないとダメだと思いますので、それも考慮すると30万人を超えます。まるでどこかの高校教科書に書かれてある数字以上じゃないですか 笑  
但し海外派遣兵は別記事に詳細を記していますが日本政府統計により100万人は100%否定できますので採用しません。




20万人説は劣悪環境で慰安婦の使い捨てが横行し、更に兵が給料のほとんどを慰安所に使ったなら考えることもできますが、慰安婦数がそんなに多いというのも根拠に乏しいと考えます。しかし交代率が上がるような要素が見出せれば充分に考えられます。


しかしあくまでも私の推計は軍が制度として設置した慰安所における慰安婦(狭義)の数であり、中国本土、フィリピンなどの戦場や占領地域の敵性地域での「討伐」 において頻発した監禁・強姦の被害者は広義の慰安婦とも言えます。

フィリピン従軍慰安婦補償請求事件の訴状における証言
http://www.awf.or.jp/pdf/193-f1.pdf
 

被害者からみれば、日本軍の兵に監禁・強姦された事実を慰安婦被害者と語っても本質的には慰安所の慰安婦と同じですから、その被害者を慰安婦として加えるなら私の推計をはるかに超えることも否定できません。





慰安婦の一日の対応人数ですが10時から5時までは一般兵に割り当てられ、7時間で食事・洗浄・用足し等の時間に30分~1時間とすれば20人程度、5時~12時の将校タイムでは10人程度、合計1日のMAXが30人程度となりますが、この数値はよほど強制力が働かないとこなし切れないと思います。
ミッチナ捕虜尋問調書に記載されたスケジュールを元に算出しました。
一般兵と将校の比率を考えると、一般兵は早い者勝ちみたいな倍率ですね。

前線に近い慰安所では慰安婦も不足していたかも知れませんが、後方ではもう少しゆとりがあったかも知れませんし、暇な日も当然あったでしょう。

正確な慰安所記録が残っていませんので推測にしか過ぎませんが、先の調書に書かれてあるように、慰安婦はスケジュールに従っても兵の数に対応できず、不満を述べたと証言しているので、多い時で30人程度の対応人数は否定できません。
 



※1

「一九三七年末から蕪湖に駐屯した野砲第六連隊長藤村謙大佐も、強姦を懸念して、内地から慰安婦を呼んだが「日本女性と朝鮮人女性とが来たが、後者の方が一般に評判が良いので逐次之に代えることにした」と回想している。」
藤村謙『変転せる我が人生』(私家版、一九七三)一一〇ページ
 秦郁彦氏「慰安婦と戦場の性」P88

「戦地へ送り込まれる娼婦は年若き者を必要とす。而して小官某地にて検黴中屡々見し如き両鼠蹊部に横痃手術の瘢痕を有し明らかに既往花柳病の烙印をおされし、アバズレ女の類は敢へて一考を与へたし。此れ皇軍将兵への贈り物として、実に如何はしき物なればなり。如何に検黴を行ふとは言へ。」
「一応戦地へ送り込む娼婦は、内地最終の港湾に於いて、充分なる淘汰を必要とす。まして内地を喰ひつめたが如き女を戦地へ鞍変へさす如きは、言語同断の沙汰と言ふ可し。」
 第十一軍第十四兵站病院麻生徹男  防衛庁防衛研究所 「衛生・医事関係資料の調査概要」P37 
www.awf.or.jp/pdf/0062_p033_039.pdf

要するに内地ではいい人材が確保できなかったということです。応募が殺到したというのがウソとわかります。