「日本の歴史家を支持する声明」からの考察です。

声明には「特定の用語に焦点をあてて狭い法律的議論を重ねること」を批判的に述べています。
じゃあどういった法律的議論をいうのでしょう。


「慰安婦はただの娼婦だったから当時合法だ」
「対価を得ていたのだから娼婦と変わらない」
という右派の法律的アプローチからの言い分もそのひとつでしょう。
じゃあ議論となるからには「慰安婦は娼婦とは言えない」という説があるからです。

そこで右派が主張する強制連行を否定する言い分で一番わかりやすいのが
「証拠がなかったら無罪である。もし、やっていたとしても無罪である。それが憲法の法則である。」井沢元彦氏 の主張でしょう。刑法では一般論というより当然のことです。物証なく本人自白だけで有罪となった例はありますが・・それは例外としましょう。


この理屈をもとに慰安婦のそれを見てみましょう。

じゃあ慰安婦が合法であったとするには、当時の法の裏付けがなければ、用語だけでは合法・非合法の定義ができませんよね。
戦前も無秩序な売春行為は禁止されていました。即ち売春婦は昔から存在していたが、合法ではなかったのです。

昭和32年に売春防止法が施行されるまで、日本では娼妓の登録制、稼業場所の許可、健康診断の義務など一定の規制の下で売春は合法だった。公認の貸座敷地域は国内各地にあったが、朝鮮でも現在のソウルをはじめ釜山・平壌など主な都会にはどこにもあった。そこでは日本人女性も朝鮮人女性も多数働いていた。
戦地の慰安所も概ねこの延長線上にあったものと思う。この経営者たちが女性を連れて戦地に行き、施設・移送・衛生管理などについて軍の便宜供与を受けて営業していたのが実態であったと思う。」 故大師堂経慰氏 正論2007
                                  
と右派も「一定の規制の下で」合法という認識はおありのようです。

その規制の内容ですが「娼妓取締規則」「貸座敷娼妓取締規則」等の法体系の中に記されています。

陸軍慰安所の設置と慰安婦募集に関する警察史料
『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』1解説

そこで重要と思われる、
☆警察署が所持する娼妓名簿に登録されなければならなかった(娼妓取締規則 第二条 娼妓名簿に登録せられざる者は娼妓稼を為すことを得ず 第三条 娼妓名簿に登録は娼妓たらんとする者自ら警察官署に出頭し左の事項を具したる書面を以て之を申請すべし登録制

☆また娼妓をやめたいと本人が思うときは、口頭または書面で申し出ることを「何人と雖も妨害をなすことを得ず」(娼妓取締規則 第六条 娼妓名簿削除申請に関しては何人と雖妨害を為すことを得ず)自由廃業
の2点に焦点を当てましょう。

まず一つ目の「娼妓名簿」について、国外へ移送された慰安婦の名簿は存在するのでしょうか?
二つ目は慰安婦廃業を示す書類は残っているのでしょうか?

更に三つ目として貸し座敷における自由恋愛という体裁の元となる貸し座敷は国外・戦地で業者が建築・設営したという記録が存在するのでしょうか?
占領地において軍が接収した建物を利用したり、戦地においては軍が施主になり工兵隊や動員された現地住民が慰安所を設営したりという話は残っています。

一部右派はそういった法や規則があって初めて慰安婦になれたと言って、その規則を提示して当時はそれで合法だったと結論づけています。
でもおかしいですね、法律があったから合法なんてバカな論理は誰が考えても成立しません。
また名簿や届出書類の雛形もご丁寧に提示しています。しかしその中身が書かれてあったら私の言う証拠にはなりますが、法や規則に従って実際に書かれた書類を提示している訳ではありません。
唯一性病検査をした軍医の証言が記述されているだけです。

その右派は「書類がなければ軍隊も官憲も省庁も動かない」から、慰安婦は正式な書類手続きを経て戦地に送られたという理屈です。そんなアホなことを言ってますが、当時の軍に厳格な遵法精神があったと思うのですか?


慰安所どころか関東軍は命令書もないのに戦線を拡大させ(後に政府追認)ましたね。
軍令部の命令書もなしに、捕虜を強制労働に就かせることがありましたね。
書類がなかっても「収賄」は未だになくなりませんし、書類がなかっても警察の裏金事件は起こっていますし、書類がなかっても自衛隊のスパイ事件は起こっています。



そして有難いことに慰安婦になるには以下の書類等が必要だったらしいです。勉強になりました。

■周旋人および貸座敷(遊廓)経営者と取り交わす書類 
①娼妓稼業契約書 

■稼業を行う貸座敷を管轄する警察署に提出する書類 
②親権者または後見人の承諾書 
③親権者または後見人の印鑑証明書 
④戸籍謄本または民籍謄本 
⑤前借金に関する書類の写し 
⑥経歴および娼妓(公娼)となる理由を記載した書類 
⑦健康診断書(警察署長指定の医師、医生発行のもの) 
⑧娼妓名簿登録申請書 

■慰安婦として渡航するため警察署に提出する書類 
⑨健康証明書または健康診断書 
⑩親権者また後見人の承諾書 
⑪身分証明書発給申請書 

■慰安所へ移転(鞍替)するため警察署に提出する書類 
⑫娼妓名簿登録申請書(鞍替・移転申請) 

■日本軍占領地の日本領事館に提出する書類 
⑬臨時酌婦営業許可願(写真2枚添付) 
⑭親権者または後見人の承諾書 
⑮印鑑証明書 
⑯戸籍謄本(民籍謄本) 



かなり高いハードルですね。上記の書類がきっちり残っていれば合法という推測も間違いとは言えませんが、お目にかかったことがありません。
また先に提示した証拠が無い限り「そういった事はなかった」と解釈してもいいのではありませんか?
法的裏づけの証拠があって、慰安婦になった娼婦が合法であるという証明がなされない以上、限りなく非合法に近い存在だったと言えますね。未登録の所謂モグリの娼婦だったとも言えるんじゃないですか?
そもそも公娼登録は内地での制度であって、朝鮮人・台湾人・外国人は登録できなかった筈です。


対価を得て性行為を行う女性を売春婦というのには違いありませんが、当時でも無条件に許されていた訳ではありません。
当時も英米では一部の地域を除き公には売春を認めていませんでした。
英米の植民地だったシンガポール・マレーやフィリピンでも建前上公には認めていませんでした。
日本国内でも当時から売春に対して内外より批判は相当あったので、制度として認めるかわりに批判を受けにくいような規則を制定したのです。
それでも1930年から41年の間に13県が廃止、他に14県が戦前に廃娼決議をしています。「公娼制それ自体が問題である」という認識が戦前の日本でもかなり広く共有されつつあったという事です。
当時の価値観・法制度でも(少なくとも建前の)道義的水準はそんなに低くなかったのです。


「慰安婦は金銭を得ていたから売春婦であって、それは当時合法だった」という単純な理屈は法律論から言っても成立しない暴論でしょう。